スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

サガ沙ss 『piece of mind.4』 サガとデスマスク。


教皇宮の一角の己の寝室で、窓辺に置かれた椅子に腰を下ろし夜の帳に覆われた窓の外をぼんやりと眺めながら、サガは幾度目かの溜息を洩らした。
手にした書物は幾ら羅列された文字を目で追おうとも全く頭に入ってこない。古めかしく重厚な装丁のそれをちらりと一瞥し、彼にしては些か乱雑な所作でそれを机上へと放り投げた。

入浴後の乾ききらない髪を鬱陶しげに搔き上げ、サガは今一度深い溜息をつく。

「……何故私は人の身なのだろうか」

薄闇の中、ぽつりと独り言ち己の掌を何とはなしに眺め遣ったサガは徐に眉を顰めた。
この血塗られた手で、よくも女神に触れられたものだと、我ながら厚顔なものだと嘲笑さえ湧いてくる。

我々の幸福を祈りながら、たったひとり取り残される未来に怯えていた女神。

例え僅かでも彼女の憂いを取り除けるのならば我が身を差し出すことに何の躊躇いもない。
それは自分の中の真実だ。
だが、と彼はひとり逡巡する。女神にとっての己は武器であるはずだ。彼女が守護する地上世界のために進むべき道を揺るぎないものにする道具であるべきだ。
ならば、何故私は人の身であるのだろう。机の片隅に置かれた銀製のペーパーナイフにちらと目をくれ、彼は端正な口の端をぎり、と咬みしめた。

武器にはそれ自身に善悪はない。意思も思想も概念も持たない。大まかな目的や適した用途はあれど、それに意味を持たせどう使うかは使用者側の問題だ。
勿論、女神が武器を厭うことは承知している。であれば、例えばニケや正義の盾のようなーー純粋な力であれば。

「そうであれば、貴女がこの世に存在する限り共に闘えるものをーー」

詮無きことを思いながら、サガは己の胸の奥が鈍い痛みに疼くのを感じきつく双貌を閉ざす。
闇に閉ざされた視界はやがて鮮やかな蒼と新緑に塗り替えられ、その中心に主の姿が浮かび上がった。

それは僅か数時間前のーー今日の午後の光景だった。

神殿の中庭で、寂しさに震えていた地上の戦女神。
この身が果てるまでは傍に在りたいと、至極当然の願いを口にした私に触れた細い指先。あの儚げな少女がこの世界を支えているのだとーーその信じ難い事実を改めて思い知り息を呑むには充分な、頼りない感触だった。

飛び込んでくる甘い花の芳香と、この腕に崩れ落ちた華奢な肢体。呪文のように紡がれた私の呼び名と重ねられた小さな唇。

ーー何故。

ゆっくりと瞼を上げ、サガは再び窓の外の夜闇へと視線を遣った。昼間と変わらぬ風景が拡がっているはずの夜の聖域は、まるで自分の胸の内のように何も見えない。

何故、と彼はひとり繰り返す。何故自分は人の身であるのだろうか、何故彼女はあのように私に触れたのか、と。

涙が溢れそうな、哀しみと優しさが宿った静かな口付けだった。予想外の主の行動に思考が追い付かずにいた以上に、彼女から流れ込んでくる切なさに呑まれたのは事実、ではあったけれど。

それで終わるはずだった。
だがやがて離されるはずの円い唇に、ふと灯が燈るように熱を感じて。
それに呼応するかの如く口付けは深いものへと変わっていった。それは拙くとも酷く情熱的でーー彼女を制すなどという本来ならば当然の行動に考えが及ぶことはなく。

ーー何故、私は彼女に応えたのか。

半ば衝動的に腕に掻き抱いた女神と貪るような口付けを交わす。明らかに主と僕の所作ではないだろう行為に彼は不思議と罪悪感を覚えることはなく、ただその代わりに彼女と接するとき常に感じていた、魂の震えるような愛おしさにノイズが混じるのを苦々しい思いで自覚していた。

「ーー人の身など、煩わしい……」

低く絞り出した自らの呟きに一層その表情を曇らせ、逡巡する思考を打ち切るべくサガは小さくかぶりを振った。










不意に響く強めのノック音に、弾かれたように顔を上げ扉の前へと向かう。
何処か聞き覚えのある、どちらかといえば不躾な叩音に苦笑しながら鍵を開ければ、その先に佇んでいたのはサガの予想通りというべきか、銀髪に深紅の瞳を持つ男だった。

「どうしたデスマスク、このような時間に」
「良いモンが手に入ったんでな、偶にはどうだい?」

へらりと笑い、デスマスクは手に持ったフルボトルをサガの目の前に掲げてみせた。クラシックなラベルで飾られた瓶の中身は、男の双貌よりも濃い深紅。ご丁寧にも反対側の手にはワイングラスが二客、器用な手付きで握られている。
酒を片手に時折ふらりと現れては、取り留めのない時間を過ごしふらりと消えるーー教皇としてサガが生きた、決して短くはない拷問のような記憶の中で束の間の安息を与えてくれた、やはり短くはない付き合いの男の変わらぬ姿に、サガは眩しそうに目を細めやわらかな笑顔を浮かべると彼を招き入れた。
デスマスクはといえば、勝手知ったると言わんばかりに寝室の奥へと大股で進み、適当に腰を下ろすと慣れた手付きでワインボトルのコルクを抜いた。

「そういや、あんたの女神様はどうだ?何か元気ねえんだろ?」

ボトルを持った片手を目線まで掲げ、床に置いたグラスにワインが空気に触れるようゆっくりと注ぎながら、デスマスクはとりあえずといった口調で黄金聖闘士たちの懸念について口にする。
どうせ大したことはないのだろう、もし大事であれば目の前の男がとっくに対応しているはずだというのが彼の見解ではあったが、一応……というより、女神の感情だか気分だかの波にサガが変に振り回され疲弊してはいないか、それを確認しようというのが目的だった。
そんなデスマスクに対しサガはといえば、あからさまに眉間に皺を寄せ険しくも半ば呆れ果てた表情で夜更けの来訪者を凝視する。

「……お前の女神でもあるだろうが」
「あー、まあ一応……そうだけどよ」

大仰に肩を竦め、デスマスクは戯けたように苦笑してみせた。自分は蟹座を戴いているのだから勿論サガの言葉は正しい。正しい、のではあるがあくまでも自分はアテナがサガの女神であるから従っているに過ぎない。
だが、そんなことを口に出せば嗜められる、では済まないことは分かりきっている。故にデスマスクは己のスタンスには口を噤み悪かったよ、と笑いながらグラスを彼へと差し出した。

「で、あのお方は何をそんなにお悩みなんだ?あんたもアイオロスも動かねえってなら戦だ何だってこたぁねえんだろうが……」

まさか太ったとかそういう下らねえことじゃねえだろうな、と不敬極まりない軽口を叩く銀髪の男をサガはじろりと睨み付けたが、口は悪くとも彼はアテナを気に掛けてはいるのだとそれ以上苦言を呈すことはなかった。
デスマスクが彼女を気に掛けているのはあくまでもその先にサガの存在があるから、なのだがサガがその事実に気付くことはない。
それでいいのだと蟹座は思う。恐らくそれを知ってしまえば、目の前の敬虔な女神の僕は自分の過去に苛まれるだろうから。

溜息を洩らし、サガは何処かぼんやりとグラスの中の深紅の液体を眺めた。それからゆるりとした仕草でグラスを回しワインを口へと運ぶ。

「ーー旨いな」
「そりゃあそうだ、上物だからな」

素直な賞賛に、デスマスクは自慢げに笑う。それはそうだろう、この銘柄はあんたの気に入りだったんだからなーーそう、口には出さずに。
デスマスクが自らの唯一の主と定めた黒髪の男……今はもうこの世界の何処にも存在しない、否ーーもしかしたら今も彼の目の前に存在しているのかも知れない青年が好んでいた銘柄。酒を嗜みはしても別段好むことのないサガがそれを口にし顔を綻ばせたことに、デスマスクもまた僅かに双眸を細めた。

「ーーあの方は、神故の孤独に苛まれていらっしゃるのだ。我々の幸福を願い、聖闘士としての宿命からの解放を願い、その上でアテナはおひとりで地上を守護するおつもりなのだ」

酒の効果か、二杯目のグラスを空けたあたりでぽつりぽつりと言葉を紡ぎ出したサガをデスマスクはそうとは知られぬよう観察する。
アテナはサガに何を言った?何かを求めたのか?そんなことを思いながら。

サガが目覚めなかった一年間のアテナをデスマスクもまた他の黄金聖闘士同様見てきた。
疑問、ではあったのだ。
天界の不穏な動きがある訳ではないという。つまりは黄金聖闘士が揃う必要はないということだ。それにもかかわらずアテナはサガの目覚めに拘りを見せた。双子座というならばサガの弟であるカノンが居るのに、だ。
女神の意地なのか、と思った。自分の聖闘士が自分の呼び掛けに応じないことへの。
神の威信に懸けて、拒絶は許さないとーーそういうことかと思っていた。

(十三年間、サガを救いもしなかった女が)

だからか、とデスマスクはサガの言葉に得心した。我々の幸福、とサガは言った。つまりは今更と謗られようともサガを救いたかった、という訳か。

(大きなお世話、ってんだよ……女神様)

サガは赦されようとも救われようとも思ってはいなかった。それこそ救いなら、眠らせてやっていた方がどんなにかサガは救われていただろう。そしてあの誇り高い黒髪の青年がこのことを知ったらどんな顔をするだろうかーー侮蔑、嘲笑、そんな表情しか想像できないとデスマスクは思った。

「ーーあんたは、どうせ幸福なんてもん要らねえって思ってんだろ」
「……そうだな」
「宿命からの解放なんざ望んじゃいねえし、一生此処に居て何かありゃあ女神と心中するつもりなんだろ?」
「ああ」
「だったらそれでいいじゃねえか。あんたの望みがそうだってんなら例え女神様でもそれをとやかく言えねえだろ。わざわざ聖闘士のあんたを生き返らせて聖闘士辞めろなんて我侭が過ぎるだろうよ……それでアテナだって孤独じゃねえ。少なくともあんたが居るんだからな」

サガがアテナの傍に居るなら、少なくとも俺とアフロディーテとシュラは聖域を離れない。万々歳だろ……つーか人選に文句言うなよ。
そう内心で独り言ちたデスマスクに、サガはふと表情を曇らせ夜闇で何も見えない窓の外へと視線を映す。

「人の生涯など短いものだ。そうでなくとも我々はいつ死ぬとも分からん立場にある」
「ーーや、そりゃあそうだけどよ……それを言っちゃあ身も蓋もねえだろ。大体アテナだってこの世界じゃ人間の身体してんだからいつかは死ぬだろうよ」
「……そういうことを、言っているのではない」

何処か遠い眼差しでサガは暗い夜空を仰ぐ。その姿は誰もが称賛するような絵画の如き見事な美しさで、だがデスマスクは己の背筋が薄ら寒くなるのを感じていた。
サガは何を考えている?女神はサガに何を言ったーー寂しいと、そう訴えたのか?

息を呑み食い入るように己を見詰める男の視線に気付いているのかいないのか、サガは夜空を見上げながら言を紡ぐ。

「何故……私は人なのだろうな」
「ーー!サガ、あんた……」
「純粋な、単なる女神の道具であればよかったのにーー」

淡々とした、そして酷く哀しげな声音が部屋の空気を震わせた。デスマスクの脳裏にサガと同じ造形の、艶やかな漆黒と真紅を纏った青年の姿が鮮明に浮かび上がる。あの人はーーあんたはあくまでも人間として、神々の脅威を跳ね除けようとしていたのではなかったか。
地上の覇権を神に委ねることを何よりも危惧していた筈ではなかったか。

(どういうことだよ、あんたの女神様はあんたに何を言ったんだーー!)

衝撃的なサガの言葉に声も出ない。渇き切った喉を潤そうとグラスの中身を注ぎ込むが、彼の主も好んでいた芳醇な香りも味もろくに感じやしなかった。
恐らくデスマスクの返答など求めてはいないのだろう。サガはゆるりと振り返ると酷く辛そうな微笑を浮かべる。

「ーー人の身は……煩わしい。思わぬ切っ掛けで、欲が出る」

それは、意外な言葉だった。
サガは何を言っているのかと先程までの遣り取りを反芻したデスマスクはああ、と思い当たり軽く肩を竦めた。
アテナの言うところの『幸福』を人の身であるがために求めてしまうと、そういうことだろうか。いや、ストイックなこのひとのことだ、もっと基本的なことのような気がする。

「……欲つったってあれだろあんた、旨いもん食いてえとかゆっくり寝てえとか、その程度のことだろどうせ」

敢えてからかうように言ったデスマスクに、だがサガは怒るでもなく少し困ったように苦笑しながら。

「……詭弁だな、それは欲とは言えん。生命維持のーー闘うための手段であり本能だ」
「じゃあ何だ、人肌でも恋しいってか?そんなん別にいいじゃねえか。そりゃあ教皇の間に女連れ込む訳にはいかねえだろうがよ……ああ、それなら今度一緒にどうだ?あんたならその辺適当に歩いてりゃ女も男も選り取りみどりーー」
「そんなものは要らん」

途端、あからさまに厭そうな顔でぴしゃりと告げられた。まぁそれはそうだろうなとデスマスクは苦笑する。敬虔な女神の僕である以上そういうことへの禁忌の念は少なからずあるのだろうが、それ以前にこのひとはやたら淡白なのだ。黒髪のあのひともそうだった。自分たちの遊びに付き合って気紛れに外で娼を買う事は稀にあっても、聖域内はおろか市井の女に手を付けることもなく、淡々と日々を過ごしていた。
女遊びでもしたらどうだと勧めた自分に、そんなものは要らんと今と同じように厭そうな顔でこちらを睨む黒髪の主を思い出す。

「勿体ねえなあ、あんた」

いつだったか、黒髪のサガに向けたものと同じ言葉を口にする。すると彼は鬱陶しそうにこう返すのだ。何度も言わせるな、と。

だが、目の前のサガはデスマスクの記憶とは違う顔でーーそれでも同じ言葉を返す。酷く辛そうな、何かを堪えるような趣に、蟹座から一切の表情が消え去った。

「何度も言わせるな。そんなものは要らないーー代用品、など」

苦しげに絞り出すような声音が、呆然とサガを見詰めるデスマスクの脳裏に木霊のように鳴り響いた。










十二宮の石段を巨蟹宮に向けて降りながら、デスマスクは苦々しい思いで舌打ちを洩らす。

「……ふざけんなよ」

苛立ちも顕に、一応現在の己の主という位置付けである戦女神へと吐き捨てると彼は身体ごと振り返り、教皇の間とその後方に位置するアテナ神殿を見上げた。

(あの女、サガを壊すつもりなのか?)

ぎり、と口の端を咬み意識を凝らせば、剣呑な光を宿す深紅の双眸が暗闇の中でもはっきりと女神像ーーアテナの聖衣の仮の姿である物言わぬ彫像を映し出す。
ふざけんなよ、と再び吐き捨てるとデスマスクは晴れ渡った新月の夜空へと視線を遣った。
月のない夜空のいろは、あのひとの髪のいろに似ている。

嘗てのーー否、彼の中では今だに主である黒髪の青年に思いを馳せ、青年の怒りを、憤りを改めて胸の内に落とし込んだ。
気紛れで傲慢で我侭な天界の住人共。人間の尊厳を懸け神に闘いを挑んだあのひとの、これが罰だとでも言うつもりなのか。

『そんなものは要らない』

デスマスクの脳裏に先刻のサガの言葉が蘇る。あのひとは驚くほど気が回るくせに、自分のこととなると途端に鈍感で無頓着だ。恐らく自分が何を言っているのかーーそれが何を意味するのか、気付いてはいないだろう。

代用品、とあのひとは言った。
あのひとにとって、代用品ではない女などこの世でたったひとりしかいないだろう。

「……まさかこんな形に落ち着いちまう、なんてな」

ぽつりと呟きを洩らし、蟹座の男は深い深い溜息を吐く。思い出すのは己のこころを壊しながら、それでも聖域のため地上のため、そしていつか戻ってくるだろう女神のために生き続けてきた『神の化身』の成れの果ての姿。
あのひとが、ずっとアテナに焦がれ続けていたことは知っている。だが、それは己への断罪への渇望ーー自身のいのちで以てアテナを地盤を固めるという役割を全うすることと同義であったはずだ。

「本当に、眠らせてやってた方が幸せだったよなぁ……」

もうやめてくれと、サガを起こすなと女神に訴えていたのはサガの双子の弟だった。
その訴えは正しいと思いはした。だが、あの時俺は沈黙を保った。
俺もまた、サガに会いたかったからだ。

黒髪のあのひとがもうサガの中に存在していなくても、それでもーーサガと、同じ時を過ごしたいと思った。

「……結局俺もあの女と同じ穴の狢か」

やっちまったな、と徐に顔を顰めたデスマスクは取り出した煙草を咥え、ゆっくりとその先端に火を点けた。















デッサガアテナ。
デス様はサガのすべてを受け入れて決して否定しない断トツの包容力をみせる傍観者であろうと思ってます。



スポンサーサイト

サガ沙ss 『piece of mind.3』 サガとアテナ沙織。


天界が恋しいのか。
天に、還りたいのか。

サガの問い掛けに、沙織は大きな瞳を言葉の主へと向けた。瞬きすら忘れ、彼の穏やかな、そして寂しげな光を宿した双眸を見詰め、それから小さくかぶりを振る。

「……どう、してーー」

違う、と言いたかった。だがそれを口にすることは彼女にはできなかった。

天界に還りたいとは思わない。地上世界で皆と過ごしていたいーーそれは、嘘ではない。
聖戦が終結し、役目を果たした生き残りの聖闘士たちに人としての幸福を得てほしいと思った。けれど、たったひとり女神として取り残されることが寂しかった。
失われた、黄金聖闘士をはじめとする皆との時間を取り戻したかった。
救うことのできなかった、差し伸べた手を取って貰えなかった貴方に、もう一度手を伸ばしたかった。

だから自分は、いのちの理を曲げてでも神の力で皆を復活させたのだ。

(これは愛ではない。ただの我侭だ。身勝手な執着だ)
(私の中に生まれた、人のこころが)

取り戻したところで、それは永遠ではない。
この箱庭の中でのままごとのような生活も、いつかは終焉を迎えるのだ。
皆いつかは天寿を全うし、星の宿命から解放されて新しいいのちに生まれ変わる。
けれど私は、いつまでも私のままなのだ。

思いや執着が強ければ強いほど、それを失ったときの穴は大きいだろう。ならば、そうなる前にすべてを手離せば傷は浅くて済むのではないかーーそう思ったのも事実だった。だから沙織はサガの問に否、と返答することができなかった。

途方に暮れたように己を見詰める沙織に、サガは淡々とした口調で問を重ねた。

「アテナ、貴女ご自身の幸福とは何でありましょうか。それは神々の地に存在するのですか?」
「ーー違います!」

今度こそ、沙織は明確に否定した。珍しく声を荒げた彼女の姿にサガは一瞬目を瞠る。だがそれに構うことなく彼女は言葉を続けた。

「私のしあわせは此処にあります!この場所で皆と何気ない日々を過ごすこと……それが私は、とても嬉しいのーーそれなのに還りたい、などと」

そんなことは思っていない。たとえそれがいつの日か終りを告げるしあわせなのだとしても。
そこまで告げて、沙織は目の前の青年から視線を逸らし唇を咬んだ。俯くことはしなかった。俯いたら涙が零れ落ちそうで、それはきっと彼の負担になる。そう思ったからだ。

「……矛盾しているでしょう?私は貴方たちのしあわせを願っている。この気持ちに偽りはありませんーーけれど同時に、私は貴方たちと共に過ごしていきたいと望んでいるのです」

矛盾しているという沙織の言葉はサガに幾つかの出来事を思い起こさせた。

目覚めた自分に、贖罪など望んではいないのだと言い募った彼女。共に朝食をと向けられた眩いばかりの少女の笑顔。
訪れた白亜の街で出会った優しい人々と、涙を浮かべた女神。細かく身を震わせた彼女の姿は、丁度今と同じようではなかったかーー

脳裏を過る消え入りそうな、だが悲鳴にも似た声音。寂しいのだと、彼女が私に訴えたのはいつの頃だったか。それは夢の中のことであったのだろうか。

「アテナ」

ああ、そういうことかと得心し彼は主の名を呼ぶ。
やわらかな声音が優しく耳に響き、沙織は顔を上げ再び眼前に佇む青年に視線を合わせた。何処か途方に暮れた幼子のようにも思える眼差しで己を見詰める主はやはり痛々しく映るーーそれが、サガには酷く哀しかった。

アテナは、私の主は、我々の幸福とご自身の幸福は相反するものと……そうお考えなのだ。

「アテナ、私はーー貴女の仰る『人としてのしあわせ』を手にしたいとは思いません」

沙織を正面に見据えながら穏やかな口調で告げるサガの言葉に、彼女の両の瞳が見開かれた。驚きというより衝撃で、沙織は呼吸を忘れ言葉の主をまじまじと見遣る。

「……皆がそうであるとは言いません。これはあくまでも私個人の言葉であります故、気に入らぬとお思いでしたらどうぞお捨て置きください」
「そんな、ことは……」

茫然として呟きを洩らす沙織に向かい微かな笑みを浮かべ、サガはやわらかな口調のまま続けた。

「私は幼い頃より聖闘士として聖域で過ごして参りましたーーですから私の価値観も思想も信念も総てこの地で培われてきたのです。地上の安寧のため、そして貴女のために生きて死ぬことが私の存在意義と思っておりますし、己の価値を全うすることが私にとって何よりの幸福なのです」
「サガ……!」

当たり前のことのように告げられたサガの言葉の内容は、沙織にとって酷く哀しく、そして胸を抉るものだった。それでは宿命に殉じているだけではないかーー星の宿命、双子座の宿命……二重の意味で迷い苦しんできたこのひとに、これ以上辛い思いをさせたくなどないのに。
主を宥めているようにも聞こえる、優しく穏やかな声音。けれどもそこに慰めの意図は感じられない。このひとは本気で、まるで呼吸するかのような自然さで己の内に自らの存在価値を見出しているーー彼の言葉は彼自身の本音であり女神に対する至誠なのだと、そう、思えてしまった。

「サガ!そんなこと私は望んでおりません……!」
「気に入らぬならお捨て置きくださいと、そう申し上げたはずです」
「ですが……」

堪りかねて声を荒げた沙織に対し、サガは表情を崩すことなくあくまでも穏やかな口調で、淡々と告げた。低く響き渡るやわらかな声音は、だが決して否やを言わせぬ明確な意志が宿っている。それを肌で感じた沙織は言葉を失い、それでもと精一杯の拒絶を込めて何度もかぶりを振ってみせた。

駄々をこねる幼い少女のような沙織の振る舞いに、やがてサガはほんの少しの苦笑を洩らしその双眸を細め彼女を見遣る。
主である以上に本来手の届かぬはずの、大いなる小宇宙をその身に宿す至上の存在。それなのに、そのはずなのに、寂しさに震えるこの方は何と小さく儚げなのであろうかーー

不思議な感覚だった。
高揚も焦燥もなく、渇望も躊躇いもない。ただ酷くこころが漣立つ。


愛おしさに震えるのだーー魂が。


「ーーアテナ……私の幸福を、貴女がお決めになるのですか?」

予想外の問い掛けに、沙織は再び首を横に振る。違う。そんな傲慢なことは思ってもいなかった。

(本当に、そうだろうか)
(彼にとってのしあわせを、私は決め付けていなかったか)

「そんな、ことは」
「貴女がお決めになられたことでしたら従いましょう。だが、そうでないのならーー私は、私の望みを曲げるつもりはありません」
「……貴方の、望みは」

何を望むの?と。
訊いてしまって、次の瞬間いけないと思った。
訊いてはいけなかった。きっともう、私は戻れなくなってしまうと。

答えなくてよいのです、と言おうとしたけれど。
目の前に佇むこのひとは、誰よりもきれいな微笑を浮かべて。

「私は聖域で、生涯貴女のお傍に仕えて参ります」

ーーああ、何てばかなひと。

(ばかなのは、私でしょう?)
(恐怖を抱え込んで、歓びに震えているのでしょう?)

「……サガ」
「はい」
「その言葉ーー今ならまだ、取り消してもいいわ」
「私には取り消す理由がございません」
「言霊に、縛られるのは貴方なのですよ」

震える声で沙織は告げる。怖い、と彼女は思った。怖いーー彼を縛るのは言霊などではない。私が彼を縛るのだ。怖い。女神の呪縛から逃れたいと、いつか彼が解放を願った時…… 私は慈愛を以てそれを受け入れることができるだろうか。

(きっと、私にはできない)

その時私は何を思うのだろう。そしてそんな私を、彼はどう思うのだろうか。

「……人の一生は、きっと長いわ」

そっと視線を逸らしぽつりと告げた沙織に向かい、サガはふわりと微笑んで。

「私は闘う身であります故、貴女が天に還られる日まで生きてお仕えするとお約束はできませぬがーーなるべくそれが叶うよう、長い人生であるよう願っております」

そんなに簡単に自分の人生を縛り付けてはいけないと、思いとどまるようにとーー違えるような約束はいらないと紡ぎ掛けた沙織の言葉をさらりと先回りして、双子座の青年はまるで他愛なく積み重なる日常の会話のように女神への誓いを口にする。
取りとめのない遣り取りのようで、これは宣誓なのだ。子供の口約束などではない……星の宿命とは全く性質の異なる、女神とその僕の契りに他ならないのだとサガは承知の上で言を紡いでいるのだと、絶望を思いながら沙織は胸に沁みるようにしっとりと響く彼の声を聴いた。

(……プロポーズみたいだわ)

ふとそんなことを思い、沙織は胸の奥で苦笑を洩らす。一瞬、ほんの少しだけ暖かくなったこころがちくちくと痛んだ。
プロポーズだなんて、これはそんな華やいだ申出ではない。

このひとは、私に人生をくれるという。手に入れた自由を、未来を棄て生涯を女神に、そして地上世界の安寧のために捧げるという。
それは私が望んでいなかったことで、けれども震えるほど欲しかったものだ。
何度もその手を取ろうとして取れなかったーー差し出した手を振り払われた。そしてそれはもう永遠に叶わない。けれど一方で私はこのひとに漸く触れることができる。

「ありがとう、サガ」

いつの日か訪れる絶望は目の前に横たわっている。それを痛いほど理解しつつ、それでも沙織は蕩けるような笑顔を浮かべる。

さらさらと、衣擦れの音がして。
沙織の足元に片膝をついた姿勢で臣下の礼をとる彼女の双子座に、釣られるようにして彼女もまた長いドレスの裾をふわりと捌きながらその場にしゃがみ込んだ。
流暢な彼の動作に合わせ軽やかに弾む、少し癖のある蒼銀の長い髪がとてもきれいで、その髪に触れてみたいと思ったーーけれど。

(それもいつか、絶望に変わる)

この誓い通りに彼が生涯を捧げてくれても、いつか終焉が訪れる。
このひとは生を終え、私は天界へと還るのだ。

このひとの記憶を、魂に刻んだまま。

「アテナ?」

絶望という名の恐怖が、ざらりと沙織のこころを撫でてゆく。その不快感にも似た戦慄に息を呑み、凍り付いたように動かない主を不審に思ったのか、僅かに眉を顰めたサガの呼び声にやがて彼女はぴくりと肩を震わせた。

「……いいえ、何でもないのです」
「ですが」

ごめんなさい、とサガを制し沙織はそろりと両手を彼へと伸ばす。
本当は、手の甲を彼に差し出すべきなのだろうと思ったけれどーー臣下の礼など、私は欲しくなんてない。だから。だからせめて。

せめて女神の祝福をと沙織は願った。救うことのできなかった己の双子座のしあわせを願う気持ちに偽りはなかった。
このひとに触れる度に自分の中の絶望は大きくなる。彼女にはそれも分かっていたけれど。

両手で触れて。そのきれいな蒼銀の前髪を掻き分けて。
額に、女神の祝福のキスを。

ーーそう、思ったのに。

「……あの、アテナ……?」

けれど、沙織の細い指先が蒼銀の髪に触れることはなくて。
その代わりに両の掌がサガの白い頬を包み込む。予想外の主の挙動に驚きを禁じ得ず、彼は咄嗟に顔を上げ沙織へと視線を合わせた。

此方を見詰める深いいろの瞳。蒼銀の長い睫毛。彫像のように滑らかな、きれいな、きれいなひと。



絶望が、冥界よりも深い闇の如く地上の戦女神へと鎌首を擡げる。



(女神の祝福など、このひとは望んでいない)
(それならば、呪詛を)


どこかで誰かの声がする。


(女神に呪いを掛けた、このひとに)


ああ……これは私の声だ。


(だって知っているでしょう?)


脳裏に響く己の声を聴きながら、沙織は己を見詰める男の頬に触れた指先を滑らせるようにして、両腕を彼の首元へと絡ませた。途端、彼の身体が強張るのを肌で感じたけれどもそれに構うことも、己の行為に躊躇いを感じることもなかった。



ーー目眩がする。



(私は知っている。絶望を捻じ曲げる方法を)


力強い戦女神の声音。迷いを断ち切らんと奏でられた旋律を聴きながら、沙織は身体ごと崩れ落ちるように目の前の男の腕の中にもたれ掛かる。

「……サガ」

囁くように、名を呼んで。

それから、戦女神はそっと唇を己の双子座に重ねた。















どこまでも噛み合わないあたりが非常に滾るのです……


テーマ : 二次創作:小説
ジャンル : 小説・文学

プロフィール

月桜キキ

Author:月桜キキ
月桜キキと申します。
数年振りに二次創作の世界に出戻って参りました。普段はしれっと会社員やってます。

暁のヨナ、聖闘士星矢(無印)を中心に、他ジャンルも時々。
NLBL混在しますのでご注意!

最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。