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サガ沙ss『piece of mind.5』 沙織とアフロディーテ。アフサガアテナみたいな。


眩しい陽射しを浴びて白く輝く大理石のテラスの横でゆったりとした佇まいをみせる大樹が、澄み渡る蒼に向かい歪な波紋を描いている。

白亜の石畳に腰を下ろし、地上の戦女神は優しい亜麻色の枝の先端を彩る翠緑に遮られやわらかく大地に降り注ぐ木洩れ陽に双眸を細めた。
純白のドレスの裾を、まるで繊細なレースのように大樹の枝葉の影が幾重にも影を落としゆらゆらと揺れている。
自然が描くその美しさに、沙織は泣きたくなるのを堪えながら新緑に彩られたアテナ神殿の庭園を見渡した。
視界の先から、軽やかな土の音が聴こえる。
庭弄りなどという行為すら優雅に映る、美の女神の名を冠する青年の姿を遠くに捉えながら、彼女はまた同じことを考える。

(何故、あのひとは私に応えてくれたのだろう)

ーーもう、一週間になるのか。

神殿の中庭で、あのひとは私に誓いをくれた。
手にした自由を放棄し、その生涯を私に差し出してくれた。
いつかきっと、後悔するであろう約束を。

やがて訪れるその時に、あのひとが絶望に染まらないように。絶望に呑まれるのが私でありますように。そう願い、せめてもの祝福を……女神の加護を贈ろうとしたけれど。

結局、それすらも私にはできなかった。

残忍な己の声に突き動かされるまま唇へと落としたキスに、何故あのひとは応えてくれたのだろう。

(そんなこと、分かり切っている)
(私が女神で、あのひとが私の聖闘士だからだ)

私を掻き抱いたあのひとの腕の力も、暖かな体温も。私にくれた貪るようなキスの感触も、全身を震わせた戦慄も。
すべて、私が望んだことなのだろう。

私が欲したから、彼はそれを与えてくれた。多分ーーそれだけのこと。
女神の僕であるあのひとに拒否権はないのだから。

今も尚記憶に残る己の双子座の熱の名残に身体の芯が蕩けそうになるのを感じながら、沙織は小さな溜息を洩らす。
彼女の脳裏に浮かぶのは、互いの身を離した後の呆然とした彼の表情だった。
驚愕と困惑が入り混じり、何処か途方に暮れたような……信じ難いものでも見るような、彼はそんな顔をしていた。

あれから、サガとはあまり会話をしていない。
朝食は一緒に摂るけれど侍従が控えているし、彼の執務で必要なことがあれば顔を合わすけれど、事務的な話だけが淡々と進められる。
昼食や夕食、その後のプライベートな時間を共有することはこの一週間全くない。

それはそうだと思い、彼女の唇から知らず苦笑が洩れた。
今までそれなりの時間をサガと過ごしてきたのは、自分がそのようにしてきたからなのだと改めて思い知る。
そして、彼はそれに合わせてくれていたとすら言えない。彼にとって女神の意思は絶対なのだ。だから求められれば当然の如く応えるーーそういう、ことだ。

(ーー女神の愛を、拒絶した男が?)

途端、降って湧いた己の声を掻き消そうと、沙織はきつく瞼を閉じて懸命にかぶりを振った。










「終わりましたよ、アテナ」

頭上から降ってきた涼やかなテノールに顔を上げた沙織の視線の先に、陽射しを浴びてきらきらと煌めく長いプラチナブロンドを揺らす美貌の青年が佇んでいた。
美の女神の名を冠する彼に相応しい外見の青年のやわらかで艶やかな微笑に、沙織はささくれ立った己のこころが少しだけ凪いでいくのを感じながらふわりと笑顔を返す。

「ありがとうアフロディーテ……とってもきれい」

彼の手によって植えられた、淡いアイボリーの蕾を付けた幾つもの薔薇の苗木を見詰めながら礼を述べる主に向かい、アフロディーテは誇らしげに笑った。

「活けた薔薇も堂々たるものではありますが
、植わった姿もまた違った風情がありましょう?」
「大地に根を張る植物の姿は、生命力に満ち溢れていてーーとても、美しいと思います」

謳うような沙織の言に、眩しげに双眸を細め少女の姿の女神を眺め遣った。

「……サガと、同じことを仰るのですね」

このところの己のこころを占めていた男の名を突然出された彼女は一瞬言葉に詰まる。そして咄嗟にそれを悟られまいと曖昧な笑顔を作り、そうなの?とだけ返した。

「その薔薇……金華山、ですよね?」
「ええ。日本ではそうも呼ぶそうですねーーあのひとも、その名で呼んでおりました」

今度こそ、沙織は驚きに双子座の名を唇に乗せた。何故聖域で育ったあのひとが、この有名なオールドローズをわざわざ和名で呼ぶのだろうか。

「……サガ、が?どうして……」
「あのひとは、日本に纏わることをよく知っておりますよ」
「サガは、日本に興味があるのですか?」

そんなこと、知らない。私はあのひとのことについて知らないことばかりだーーそれは当たり前といえばその通りで、そして仕方のないことなのだけれど。
知っているのは、あのひとのやわらかな笑顔と低く響く優しい声音。眩しいばかりの黄金の小宇宙と流れ落ちる涙の雫。
それからーー暖かな体温と、蕩けるような熱を……少しだけ。

「ーー貴女のおわす国を、あのひとが好まぬ筈ないでしょう?」

色々と見聞を拡げておりましたよ、と懐かしそうに語る青年に、やっぱり知っていたのね、と沙織はぽつりと告げた。

「それはまあ……同時期に日本から候補生が百人、ですからね」

さすがにあからさまですよねと肩を竦めた魚座の青年に、そうですねと沙織は苦笑して。

「あのひとは……日本からの候補生をそれでも平等に扱ってくれたのですよね。だからこそ星矢たちはーー」
「貴女が帰還されることが、あのひとのたったひとつの願いでしたから」

懐かしそうに、大切な思い出を紐解くように……何処か遠い眼差しのまま紡がれたアフロディーテの言葉は、けれども沙織のこころにきりきりと爪を立てる。

私は、神様のくせに。
たったひとつという、あのひとの願いも知らずに。

「金華山ーー日本でも愛されたこの花は、あのひとの好きな花です」

きりきりと痛むこころを抑え視線を落とした主へと、アフロディーテは艶やかな微笑を浮かべそっと告げた。内緒ですよ、と己の唇に指を当てる彼の仕草は思わず目を奪われるには充分な、その名の通り美と性愛を司る女神を思わせ、この上なく魅力的だ。
けれどもそれ以上に彼の言葉の内容が、アイボリーのオールドローズへと沙織の意識を向かわせる。弾かれたように面を上げると、彼女は黄金に纏わる和名を戴く苗木へと視線を移した。

「……あのひと、が」

ーー聖域を維持するため真実を明かすこともできず、きっと拷問のような日々を生き抜いていたのだろうあのひとが、何も知らずに安穏に私が過ごす遠い国で愛されていたこの薔薇を、好きだと言ってくれたのか。

それきり言葉を失い、煌めく緑柱石の如き瞳を見開き食い入るように薔薇の苗を見詰める沙織の様子を、アフロディーテもまたやわらかな眼差しで見詰めていた。

「……サガのことを、お好きですか?」

やがて紡がれた問い掛けを、沙織は不思議な心地で受け止めーーそれから幾度かの瞬きの後、優美に佇む魚座の青年をゆっくりと見上げる。

「それはーー勿論です。サガは私の、大切な双子座です」
「それは重々承知しております。私はその上で貴女にお訊きしているのです」

サガのことを、お好きですか?
もう一度問われ、沙織はその言葉を一旦胸の底に落とし込みーー漸く、その意味を理解した。
何かを口に出そうとして、けれども彼の問い掛けに相応しい返答が探し出せず、俯きながら紡ぎ出した旋律は沈黙の要請。

「アフロディーテ……滅多なことを、言わないでください」

否定しないのだな、と女神の言葉を反芻したアフロディーテは思う。

「何故です?」
「……私は、人の子ではないのです」
「オリンポスの神々は往々にして人間と恋をなさるものと認識しておりますが」

いともあっさりと沈黙を破ってくれた魚座の青年に、沙織は少しばかりの非難のいろを宿した瞳を向ける。名は体を表す、とはよく言ったものだが彼の名はその外見ばかりを示すものではないらしい。彼女の脳裏をぼんやりと、蠱惑的な美しさを誇る女神の姿が過り、やがて霞の如く消えていった。

「ーー神に恋情を向けられた人間の末路が、しあわせであると私には思えません」
「それは外側からの評価でしょうに」
「それはーーそう、かも知れませんが……」

戯けたように肩を竦めてみせるアフロディーテの言葉に、沙織はまたも返答に詰まる。居た堪れない、といった風情で燦然と輝く陽射しを受けて煌めくエーゲ海の水面のようないろの彼の双眸から視線を逸らし、俯いた後やがてぽつりと告げた。

「私は、地上の人々すべてに愛を向ける立場なのですーーそれを、そのような」

消え入るような沙織の声音に、紡ぎ出された旋律に、そういうことかとアフロディーテは胸の内で頷いてみせる。
この方は自らの存在理由に縛られておられる。それがすべてとも思えないが、躊躇いの理由のひとつではあるのだろう。

「ーー今更?」

たった一言、静かに向けられた問いは沙織の胸を抉るには充分だった。
弾かれたように顔を上げ見詰めたアフロディーテの表情は変わらず穏やかなままで、だが美しく弧を描く口の端が、女神のこころを凍り付かせる。
嘲笑だ、と思った。
今更?そう、今更だ。ずっとサガの傍近く控え、サガを見てきたアフロディーテの立場からすれば当然そのように感じるだろう。

(あのひとを、救いもしなかった女が)

脳裏に響く声は自分のものだろうか、それとも目の前の男のものだろうかーー何処かぼんやりとその声を聴きながら己の魚座を瞳に映す戦女神へと、淡々としながらも追い詰めるかの如く問いは重ねられる。

「今更、貴女がそれを仰るのですか?」
「……今更であっても、です」

痛むこころを抑えながら絞り出した言葉を嘲笑うようにアフロディーテが眉を上げるーー否、実際嘲笑っているのだろうと彼女は思った。
次に告げられるのは侮蔑の言葉だろうか……傷付いた顔を、私は見せないでいられるだろうか。
きゅっと口を引き結び麗人の断罪を待つ戦女神の、耳朶を打つのは意外な内容だった。

「私は貴女の愛が平等ではないということを知っております。平等でないからこそ貴女は我々聖闘士に万人には与えられぬ恩恵を与えてくださる。そして、貴女は殊に星矢たち五人の青銅聖闘士に特別な思いを向けておられる」
「……特別……」
「そうでありましょう?ですがそれに不満を抱いたり増してや咎めようなどとは我々は夢にも思っておりません。彼らは貴女を信じ、共に闘い、聖戦に勝利したーーその功績による特別な寵と恩恵に誰が異を唱えられましょう」

思わず聴き惚れてしまうようなアフロディーテの声音に、けれども沙織は小さく首を傾げた。
特別ーーそうだろうか。そう言われればそうかも知れない。私は彼らを大切な仲間だと思っているし、殊更しあわせでいてほしいと思っている。そのために自分にできることがあるなら何だってするつもりだ。
でもそれは彼らとの間に築いてきた絆故のものであって、贔屓だとか優遇だとかとは違うような気がする。

「……同じことですよ、アテナ」
「同じ?」

鸚鵡返しに問い返す沙織へと、アフロディーテは穏やかに微笑む。

「貴女は、その愛をサガに向けることはしなかった」
「ーーっ!」

余りにもストレートな物言いに表情を強ばらせ息を呑んだ沙織の様子を伺い、すみませんと苦笑したアフロディーテはこう続けた。

「ああ……別に責めているのではありません。それにーー失礼な言い方ではありますが、拒まれた、というのが正しいのでしょう?」
「……」
「サガは貴女に対し己への愛も救済も、断罪すら望んでいなかった。だから彼は貴女の手を振り払った」

そこで一旦言葉を切り、アフロディーテは沙織に視線を合わせその瞳を覗き込んだ。美しくたおやかなその身に眩いばかりの小宇宙を宿しながら、緑柱石の如き女神の双眸は迷いと躊躇いと、そして戸惑いに揺れている。そのさまを、美の女神の名を冠する青年はとても美しいと……愛おしいと思うけれど。

(あのひとは、そうは思わないだろう)

ふ、と嘆息した青年は再び言を紡ぎ出す。己が認めた、賞賛に値するものを敢えて変えてしまうというのは奇妙な心地だと感じながら。

「それを望まぬ者に与えようとしたところで何になりましょう。今更そのようなことで思い悩むなど無意味だとは思いませんか?」

あくまでも穏やかに紡がれるアフロディーテの問い掛けが沙織の肩をぴくりと震わせた。彼の言葉は何処までも容赦なくて、そして正論だ。諦めなければいつか、などという綺麗な言い方で片付けてしまえるほど単純なものでも小さいことでもない。あのひとが自分を放逐した後聖域で過ごした十三年間はそんなに軽いものではないーーきっと彼はそれが言いたいのだ。そんな風に沙織は彼の言葉を受け止めた。

「そんなことに拘って互いに疲弊するくらいなら、貴女にはあのひとの望みをーー求めるものを与えて差し上げていただきたい」
「ーーあのひとの、望み」

アフロディーテの言葉をぽつりと反芻し、沙織はふと思いを巡らせた。サガの望み、願い。それは地上世界の安寧と人々の笑顔。それから。

あのひとは、私のしあわせを願ってくれた。

「……あのひとを、苦しめるだけです」
「それを決めるのは貴女ではなくあのひとだ」
「私は女神です。あのひとの願いを叶えるには……私は女神でなくてはならないのです」

最後は消え入るような幽かな旋律だった。彼女の声にアフロディーテが目を瞠る。
ああ、そうなのか。今の貴女の在り様を、その憂いを形作るのは……結局。

「おかしなことを仰る。貴女はその魂がこの世に存在して以来、常にアテナであらせられた筈。それが天界であれ地上であれ、貴女が女神であることに変わりはないーーそうではありませんか?」

先程植えたレディ・ヒリンドン……金華山と呼ばれるオールドローズの、淡いアイボリーの蕾をちらりと一瞥し、アフロディーテは問を重ねた。願わくばこの薔薇を辛い思いで視界に映してほしくはない。女神にも……あのひとにも。
かつて日本に渡り人々を魅了したであろう淡い黄金の薔薇。恐らくあのひとにとって金華山はアテナを介した日本との縁ではなくアテナそのものだ。そして、それを知ったアテナもまたこの苗木を目にする度ーー否、それが時折であれあのひとを思い出すだろう。

私の育てる薔薇に、哀しみを映し出してなどほしくはないのだ。そんなものは、この花に相応しくはない。

「……それは、どういう意味です」
「そのままの意味です。貴女がどのようなお考えでどのように振舞おうと、我々にとってそれはアテナのお姿に他ならない」
「また、滅多なことを……」
「貴女という存在に課せられた地上世界の守護を放棄なさるとでも仰らない限り、滅多なことなどございますまい」

艶やかに微笑む魚座の青年の考え方を沙織は羨ましいと少し思う。こんな風に冷静に物事を見詰めカテゴライズし取捨選択できたらと。

(ーー得意だった筈でしょうに)

戦いにおいて重要な考え方である冷静な状況判断と割り切り。感傷に呑まれることのない鉄の意志。それはアテナとして当然持ち合わせているものの筈だというのに。

「それは……貴方の捉え方でしょう?あのひとは……」
「それこそサガが、アテナのお振る舞いに異を唱えるなどとは思えませんが」
「ーーそれは……」

一瞬言葉を詰まらせた沙織は、躊躇いがちに緑柱石の双眸を周囲へと泳がせた。視線に合わせ流れる景色の片隅に、アフロディーテの植えた薔薇の苗木が映し出される。

目を奪われ、沙織は瞬きもせずにその場に立ち尽くした。
そのアイボリーの蕾は、午後の陽射しを浴び淡いシャンパンゴールドの煌めきを放っていた。

(あのひとの、小宇宙のいろだ)

ーーああ、目眩がする。

「……あのひとは私が望めば……求めれば応えてくれます。でもそれは、私がアテナだからです」

金華山の蕾を見詰めながら絞り出すように告げられた女神の言を、だがアフロディーテは首を傾げ肩を竦めると可笑しそうにくつりと喉を鳴らす。

「ーーでは、貴女がアテナでなかったら?」
「きっとこんな小娘、見向きもされません」
「はは、仰る通りだ」

一切の気休めも躊躇いもなく、明快に肯定する魚座の青年の美貌を、さすがに呆気に取られた沙織はまじまじと見遣る。
歯に衣着せぬ、といえば聞こえがいいだろうか。だが、神だの人間だの以前に到底主に向ける言葉ではないだろうそれを、驚きはしても不快には思わなかった。
己を見詰める女神の視線を気に留める様子もなく、アフロディーテは肩を竦めやれやれ、とでも言わんばかりに苦笑を洩らす。

「よかったではないですか。だって貴女はアテナなのですから。アテナというのは役職や立場ではなく貴女という存在の呼称であり、貴女以外の存在がアテナであることはない……それは貴女が一番ご存知でしょう?」
「……」
「そしてあのひとは、アテナでない娘になど見向きもしない。貴女とあのひととのゲームは初めから貴女の勝ちと決まっているーーご自分でもお分かりでいらっしゃるではないですか」

やはり名は体を表すのか、かの女神の本質を表すかの如く彼が例えるゲームという単語、それ以上に彼が何を言いたいのかということを否が応にも理解した沙織はさすがに険しい表情で言葉の主を睨み付けた。

「アフロディーテ!よりによってゲームだなどと……それに、滅多なことは言わないでくださいと先程も……」
「ああ、それは失礼ーーまあ私としてはどちらでもいいのですが」

ーー否定はしないが肯定もしない、か。
だがそれでは困るのだ。女神の迷いや躊躇いは、あのひとを壊してしまう。

ならば、と軽く息をついたアフロディーテは、自らが持ち込んだアイボリーの花の苗をちらと一瞥し、それから改めて類稀な美少女のかたちをした己が主神を真っ直ぐに見詰めた。

「アテナ、サガの友人としてひとつだけお願いしたいことがございます」
「……はい」

居住いを正してみせたアフロディーテの、やわらかでいながら真摯な声音に沙織もまた表情を改め、煌めく緑柱石の瞳で彼を見詰め返す。

ざわり、と一陣の風が十二宮を吹き抜け神殿横の庭園の新緑を揺らす。沙織の長い絹糸の如き髪と純白のドレスの裾も、緩やかに波打つアフロディーテのプラチナブロンドも同じリズムで風に撫ぜられ、ふわりと宙を舞いーーそれは玉響の、夢のような光景だった。

(美しいな)

アフロディーテは単純にそう思う。恐らく己と目の前の少女は対極のかたちで同じ存在にこころを向けている。不思議な位あのひとへの思いのかたちは対照的なのに、思いの強さはそれ程変わらないだろう。見事なまでのシンメトリーだ。そして今、すべてが異なる自分と少女が同じリズムでこの庭園の風景に溶け込んでいる。

(あのひとに、見せてあげたい位見事だな)

僅かに目を細め、アフロディーテは穏やかな声音をそのくちびるに乗せた。

「貴女のあのひとへの思いが女神から人間に向けるものであれ、女が男に向けるものであれ、どうか迷いのなきよう」
「……迷い……」
「あのひとは、常に貴女にとっての最善を選択する人です。恐らく貴女の迷いは貴女にとってのマイナスと考えるでしょう。貴女が中途半端に彼に向き合い、迷い、躊躇われることであのひとは自らを排除する方向へと進んでしまう」

お分かりですね?と問われ、けれども沙織は頷くこともできぬまま双眸を見開いた。あくまでもやわらかな魚座の青年の艶のあるテノールが普段の心地好さではなく、錆び付いた冷たい金属の如くざらざらと彼女のこころに未だ残る爪痕を撫ぜる。

沙織の全身に蘇るのは、かつて腕に抱いた、救えなかった男の身体に残された温度。掌から砂のようにさらさらと零れ落ちる、己の双子座のいのちの欠片。
あのときの喪失感と無力感を、彼女はまざまざと思い出していた。

(ーーやめて)
(もうやめて。私を……たすけて)

脳裏に響く己の声に弾かれたように、全身を支配するあのときの感覚を無理矢理追い払うと、彼女は真昼の太陽の下で煌めく透明な水のいろを宿したアフロディーテの瞳を見上げた。

サガを友人と言ったこのひとは、とても穏やかでーーきれいな眼差しで。奇跡のような彼の美貌は、やわらかな微笑で彩られている。

「……アフロディーテ」

それは何処までも優美で、けれども少し寂しげで……胸が、締め付けられる。

「貴方はあのひとを、愛しているのですね」
「はい。一番大事なひとです」

沙織の言葉に、アフロディーテはふわりとした……だが悪戯めいた表情でちいさく笑い。

「でも、この思いに欲はないのですよ……不思議なものですね」
「不思議?」
「ええ。どちらかといえばこれは貴女の領分でしょう」

アフロディーテの名に、相応しくはありませんね。


そう言って、美と愛欲の女神の名を持つ青年はくすくすと笑ってみせた。















アフサガめっちゃすきです。
別にBLな感じじゃなくてね……



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テーマ : 二次創作:小説
ジャンル : 小説・文学

ヨナハクss 『soulstation 2』 微妙に如何わしい。もめ雄さんオーダー品の続き。


自らが解いた組紐をちらと見遣り、これだけじゃ足りないわね、と独り言ちたヨナは帯を飾る同色の組紐の端をもうひとつ摘み上げると、先程と同じように慣れた手付きで繊手の中に巻き取っていく。

「ーー陛、下?」

ヨナの手馴れた所作を、ハクは今まで何度も目にしていた。彼女の居室の寝台の隅に腰を下ろし、器用なもんだなとその様子を感心しつつ眺めていたーー脳裏を過ぎる映像は、けれども眼前のものとは比べようもない程に甘やかで、彼のこころと欲を擽るような光景だった。
だが、玉座に腰を下ろしたまま主を見詰めるハクが感じているのは蕩けるような甘露でも身を震わせる熱でもない。彼の背筋を駆け上がるのは、ざらりとした不快感にも似た戦慄だった。

眉を顰め己を伺い見る青年に向けて、女王はこの上なく鮮烈で酷薄めいた微笑を浮かべる。

「黙りなさい」

まるで睦言を囁くように、密やかに謳うように命じ、ヨナは一歩前へーー玉座に腰を下ろすハクの膝に触れるところまで足を踏み出す。
彼女の挙動に合わせ、胸元を幾重にも飾る黄金造りの豪奢な首飾りがしゃらり、と軽快な金属音を立てて、揺れた。

「ハク、そのままで」

咄嗟に身動ぐ青年を制し、ヨナは真っ直ぐに己を見据える紺青の双眸へと視線を合わせた。
白皙の美貌にやわらかな笑みを浮かべたまま視線を絡ませ、紫紺の内に燭台の灯を仄かに纏わせた、黎明の空のいろを思わせる瞳をふと細めるーーそのさまは、妖艶としか喩えようのないものだった。

「何をーー」
「だから、遊びましょうよ」

ざわざわとした、不安にも似た焦燥に支配されながらも眼前の女王の蠱惑的な仕草に情欲という名の焔が燻り出す。その自らの有りさまに胸の内で舌打ちしつつ、ハクは剣呑な眼差しを己の主へと向けた。

「ハク」

男の身の内の葛藤を見透かしたかのように、ヨナはたったふた文字の寵臣の名を唇へと乗せ、玉座の肘掛けの上の彼の手首のあたりへとそっと自らの掌を乗せた。
それから、手の内に納めていた極彩の組紐をハクの手首の上にそれぞれ置くとそれを支点に垂らしていく。組紐は重力に従いその両端は大理石の床へと音もなく滑り落ち、無機的な印象の冷たい玉座の袂にささやかな彩りを加えた。

「あんた……」
「動いてはだめよ、ハク」

怪訝な表情を顕に己の手首を凝視するハクに向けてヨナはふふ、と悪戯めいた笑い声を上げた。それから玉座の前にしゃがみ込み、彼の手首の上に乗せた組紐を肘掛けごとするすると巻き付けていく。
女の手で気紛れに施された縛めなど、男にはーー増してや雷獣の銘を戴く武人にとっては本来何の気休めにもならない。だが、それを施した者が他ならぬ、彼にとり唯一無二の主である女王であるという歴然とした事実が青年をそのこころごと捕縛していた。

「……少し冗談が過ぎませんかね、陛下」
「冗談なんかじゃないわ、遊びよ」

婉然とした微笑を湛え女王が告げる。
戦慄と陶酔、焦燥と高揚感が綯交ぜとなった青年のこころを掻き立てるように。

「女王の寵臣の、役割はなぁに?」
「……あんたを、護ることだ」
「それは『雷獣』の役割でしょ?今のお前はーー私の遊び相手なのよ」

じくりと疼く胸の痛みを抑え込んで、ヨナはくつりと喉を鳴らした。違う。本当はそんなものは望んでないのに。

私は、この高華国の王だ。
王は孤独を、孤独と思ってはいけないのだ。

父上のように、スウォンのようにーー緋龍王のように。

家族は国を護り発展させるための駒。
恋人は慰めの道具。

王が愛するのは、国そのものであるべきだ。そうでなければ、私は簡単に玉座から滑り落ちてしまうだろう。

「ーーあんたは何を、考えている?」
「どうやって遊ぼうかしら、って」

見透かされているのかいないのか、探るような眼差しを向けてくる青年から逃れるように視線を逸らして、ヨナは己の指先をそろりと伸ばし青年の胸元の袷へと触れた。
指先から布越しに僅かな彼の身の震えが伝わり、彼女はまた喉を鳴らす。

何を考えているか、そんなことを伝えるつもりなどヨナにはない。
先ほど、玉座に腰を下ろした青年は平然としていた。それが彼の生まれ持った資質故なのか、王座を望まない故にそれが他人事であるからかは分からないが、何れにせよ僅かばかりの重圧も感じていない様子の男に一体何を伝えろというのだろう。

諦観を微笑で隠し、ヨナは漆黒の長衣の袷をなぞるように緩めると覗く胸元へと指先を這わせた。
途端、ぴくりと身動ぐ青年の姿に己の背筋をぞわりとしたものが駆け上がるのを感じる。この感覚がもっと欲しいと彼女は思った。後で虚しくなるかどうかなんてそんなことはどうでもいい。

「ーーっ、陛、下ーー」
「ふふ、我慢しなくていいのよ?」

胸元を這い回るぞわりとした感触に息を詰め、苦しげに眉を寄せるハクの耳朶に掠めるような口付けを落とし、ヨナは囁くように命じた。

「もっと、啼いて……?」

睦言同然の主の命は、形ばかりの縛めも手伝ってハクの全身に波紋のように拡がっていく。苦しげに抑えた呻き声は、やがて甘やかな吐息と交じり合い低い旋律を広間へと幽かに響き渡らせた。

「ーーっ、は……!」
「……きもちいい?」

自らの指先を追うように、顕になった鎖骨から胸板へと唇を落とし舌で辿る。
幾度もそれを繰り返すうちに、硬く張り詰めた男の胸が震えを帯びながら上下しだした。荒く浅い呼吸がヨナの耳朶を擽り、彼女の内に潜む乱暴な欲を否応なしに掻き立てていく。

今すぐにでも暴き立て、いっそ弄ってやりたくなる自らの衝動を牽制するように奥歯を噛み締め、女王は努めて悠然と、艶やかでいながら涼しげな笑みをその白皙の美貌に刷いた。

「もっと声、聴かせて……?」

聴き慣れたはずの、だが今まで聴いたことのないほどに低く抑えた声音は、電流にも似た衝撃へと形を変えてハクの背筋から指先に至るまで、まるで彼のすべてを塗り替えるかの如く隅々まで伝播していく。己の内に拡がる未知の感覚を、知らぬが故に拒むことも止めることもできぬまま、ハクは何処か定まらない思考の中で主の言葉を反芻した。

よくある、情事の常套句だと思った。
自分とて女王の褥で囁くこともある、使い古された互いの情動を煽る科白。

そこから導き出される熱は酷く甘美で、昂る焔を存分に煽るものだった。だが、そうして得られた情動を遥かに凌ぐ未知なる感覚がまさに今、荒れ狂う波の如く己へと遅い掛かってくるーーそして、雷獣と呼ばれる男はそれを甘受する他に術がなかった。

女王の白い指先が、円い唇からちろりと覗く舌先がハクの完璧なまでに引き締まった躰の線に、せり上がる筋肉の継目に沿ってゆるりとした速度で幾度も行き来する。常ならば感じるだろう擽ったさはなりを潜め、代わりに与えられるぞわりとした快感に粟肌が立つ。
燭台の灯の仄かな朱に照らされて、てらてらと光る己の肌が視界にちらつくのを認めたハクは咄嗟に顔を背けた。

「ーーねえ、恥ずかしいの?」

寵臣の新鮮な反応に、ヨナはちらりと視線を上げて問い掛ける。その美貌に刷かれた笑みはこの上なく蠱惑的で、そして酷薄めいたものだった。

「……恥じらってでもほしいんすか?」
「別に」

悪趣味っすね、との精一杯の悪態に別段怒るでもなく、ヨナは再び男の胸板へと唇を寄せた。胸の下に横に走る傷痕に舌を這わせ、それから厚く盛り上がった胸の頂を口に含む。

「ーーッ!」

男にとって全くの無意味であるように見えるささやかな突起は、それが女の名残であるとでもいうのだろうか、女王の唇に吸われその小さな舌でなぶられるとやがて硬く勃ち上がった。飴よりはやわらかく果実よりは硬い、珍しい触感がヨナの舌先に伝わり彼女の興を一層呼び覚ましていく。
口内で転がすようにしながら軽く歯を立てると、逞しくしなやかな猫科の肉食獣を思わせる男の躰がびくりと跳ね上がった。

厚い胸板の上で密やかに存在を主張する小さな突起は、自らを翻弄する生暖かくぬらりと濡れた舌の感触を余すところなく感知する。初めて体験する鋭い刺激に耐え切れずにいるハクの、苦しげに噛み締めた唇の僅かな隙間を縫って洩れ出る、遥か遠くで唸る雷鳴の如き低い呻き声がヨナの耳朶を擽るように掠めた。

硬く張り詰めた胸板ごと小さな突起を口に含み吸い付かせながら、ヨナはちらりと視線を上げて玉座に縛り付けた男の、端正でいながら精悍な貌を眺め遣る。苦痛と快感が綯交ぜになったような、酷く切なげに何かを堪えるようなハクの風情は、普段彼女を抱くときに見せる表情に似ているようで似ていない。

女王の背筋を、ぞわりとした戦慄が稲妻のように伝い落ちる。

知らず、こくりと喉を鳴らす彼女の瞳は昏く深い闇にも似た焔を宿す。映し出すすべてへとその焔を置き去りにするというのか、ヨナはゆるりとした動作でーー薄く開かれた男の双眸を、きつく引き結ばれた唇を、僅かに上気した頬を、しっとりと汗ばんだ首筋を、厚く盛り上がった肩をひとつひとつ辿り、そして自らの視線を指先で追っていた。
そして自らが置き去りにした焔の欠片を拡げるように、そろそろと撫ぜていく。

「気持ち、いいの……?」

指先を動かす度にぴくりと震える肌と幽かに響く、くぐもった低い呻き声に否応なしに煽られた女王は、ハクの胸板に埋めていた白い美貌をのろのろと擡げ、もう一度くつりと喉を鳴らした。

絡み合う視線の先に見えるのは艶を孕んだ男の表情。
それは見慣れたようでいて初めて目にする、困惑と戸惑いと僅かな怒りと焦燥とーーそれから情欲に満ち満ちたーー

「……っ、知らね、えーー」
「ふふ、可愛いわね……お前」

素直じゃないんだから、と笑いながらヨナは己の手で男の装束の袷を完全に寛げると、引き締まった腹部へと指先を滑り落とし長衣と同様漆黒の布地で誂えた下穿きの帯紐を躊躇うことなく引き解いた。
しゅるりと乾いた音を立てて玉座の隅に追い遣られた、金糸銀糸をふんだんにあしらった黒く平たい帯紐は蜥蜴のような独特の素早さで女王の足元へと隠れていく。

「ーー気持ちいいのね?」

意識してかどうなのか。そうであるなら自身に向けてのことなのか相手へのものなのか。
燻る熱を拡げるようにゆっくりと焦らすように、ヨナは両手で以て緩んだ男の下穿きを引き下げると小さな吐息をほう、と洩らす。

苦しげな呼吸と共に上下する厚い胸板にひっそりと残された女の名残と同じように、硬く勃ち上がり存在を主張する男の象徴が女王の双眸に映し出された。
震える先端を撫でるように、そっと指先で触れれば容易く洩れ出る意味を為さない低音が女王の躰をちりちりと燻す。

甘い吐息をひとつ、闇に溶かして。

白い美貌に夢見心地ともいえるうっとりとした微笑を浮かべ、ヨナは自らの存在で捕縛した男の名を濡れた円い唇に乗せた。














『soulstation 2』
何てくだらない世界にしてしまったんだろう
君をだいなしにしてまで















オーダー品なのに暗くてどろどろしててすみません。
かわいくなくてすみません。如何わしくてほんとすみません。

パスはまあいいかなって。ギリギリ。


テーマ : 二次創作:小説
ジャンル : 小説・文学

ヨナハクss『soulstation 1』 ヨナ女王設定未来話。オーダー品です。


月のない夜の闇が、数刻前までの喧騒にも似た賑わいが嘘のような静謐さで鎮座する緋龍城を覆い隠す頃。
王都を吹き抜ける冷えた夜風の渡ることすらない王宮の深部ーー謁見の間へと続く中央回廊を、己の髪の色に合わせたのか雰囲気に合わせたのか、濡羽色の絹糸で織られた複雑な地模様の、艶のある質感の黒装束を身に纏った長身の青年が足早に歩を進めていた。

磨き抜かれた石造りの床が悲鳴の如く打ち鳴らす澄んだ靴音は、夜の静寂の中で高らかに響き渡り冷え冷えとした空気を震わせている。
周囲に木霊する己の靴音が荘厳なまでに耳を打つ。足を止めれば異様な静寂。黒装束の青年ーーハクは僅かに眉を顰め、焦燥も顕な表情をその精悍な顔面に浮かべた。

感覚を研ぎ澄まし、意識を拡げてみる。
だが、回廊の入口で言葉を交わした衛兵を除けば、この場所に人の気配は皆無だった。

「……どういうことだ」

夜間とはいえーー否、夜間だからこそ不自然に過ぎる状況に、ハクは舌打ちを洩らし一段と歩速を上げる。
この状況には覚えがある。忘れもしない、もう何年も前のこと……イル陛下が弑逆された、あの時の静寂に酷似している。

まさか、とハクの背筋を薄ら寒い震えが走った。まさか、そんなことは有り得ねえだろう。あの時と違い、今は王宮内の衛兵への権限は俺にある。俺の許可を得ずにそれに介入できるのは現王であるあの人を除けば誰もいねえ。
ーーだが。だが、もしも。

一瞬脳裏を過ぎった可能性を打ち払うように、ハクは大きくかぶりを振るとひと呼吸し、広い回廊を駆け出した。





やがて眼前に現れた、豪奢な彫刻の施された重厚な扉を徐に開く。
その奥に拡がる広間を見渡してみても、やはり衛兵は見当たらず、物陰に潜んでいる様子も気配も感じられない。
弾かれたように正面へと視線を移すと、夜闇に覆われ漆黒にも似た深紅に見える、本来鮮やかな真紅に極彩色の刺繍で飾られているはずの緞帳と、その前面に配置された玉座が常と変わらず配置されていた。

「……陛下」

玉座にゆるりと腰掛ける、緩やかに波打つ緋い髪を肩に垂らした女性の姿を紺青の双眸に映し出した黒髪の青年は大きな溜息をひとつ洩らし、安堵の色を隠すことなくぽつりと告げた。

視界に拡がるのは見慣れた空間。紅や黄金を基調とした壮麗な彩りを誇る高華國で最高の権威の場は、しかし今は僅かな燭台の灯が作り出す薄ぼんやりとした朱の他は重くのしかかる宵闇に沈んでいる。
まるで水墨画のようだ、と少しばかりの感慨を以てそれを眺め遣り、それからハクは玉座に座する己の主へと改めて意識を向けた。

幾重にも淡いいろの薄衣を重ねた装束の上に、金糸銀糸で大輪の牡丹を刺繍した彼女の髪色そのままの深い緋の長い上衣を羽織る女王たる主の姿もまた、清水に融けた墨色に滲む。
極彩とは対極の、何処か寂しさを感じさせる光景の中で、深い紫紺の双眸だけが一対の至宝の如く艶やかに煌めきを放っていた。

「ーーご無事で?」
「おかしなことを言うのね、雷獣が守護するこの城がそう簡単にどうにかなるはずないでしょう?」

小首を傾げ、玉座の女王ーーヨナは可笑しそうに口の端を上げた。緋い長衣の肩に掛かった波打つ髪が彼女の動作に合わせさらりと零れ落ちる。薄く紅を刷いた丸い唇が燭台の灯りを受けててらりと煌めいた。

そのさまは酷く扇情的で、ハクは先程とは違う意味で背筋が震えるのを感じながらも彼女を見詰め問を続ける。

「衛兵を下げたのは陛下か?」
「そうよ。だって要らないでしょ?お前が此処に居るのだもの」
「人払いなら、広間だけにしていただきてえんですけどね」

努めて憮然とした表情を崩さず、ハクは主へと進言する。だが当の主はといえばくすくすと、鈴の鳴るような軽やかな声で笑うだけだった。

「心配症ねえ、ハク」
「ご自分の立場を弁えてくださいよ」
「……立場、ねーー」

くつり、と薄墨に溶けた薄紅色の唇が弧を描く。華を抑えるように刷かれたそれは決して男の色欲を煽り立てるようないろではないのに、何故だかハクの双眸に限りなく蠱惑的に映し出された。
背筋を駆け上がる戦慄に囚われその場に立ち尽くす青年をちらと見遣り、ヨナはゆるりとした動作で玉座から立ち上がると重々しい王の装束に覆われた片腕を伸ばし、覗く白い指先で彼を手招きする。

「こっちへ、いらっしゃい……ハク」
「ーーはい」

やんわりと命じられるまま、王と臣下の境界線であり越えられぬ権力の差でもある、広間の床の一段高い部分を踏み越えハクはヨナの正面に立つ。
互いの目線が普段通りのものとなったことに、ヨナは僅かに瞳を細めーーひっそりと苦笑を洩らした。

「ねえ、ハク」
「はい」
「座って」

空いた玉座を指し示し、ヨナは青年を促した。彼は一瞬怪訝な表情を浮かべたが、幼馴染の他愛ない気紛れと判断し、本来国王のみにしか許されない、彫刻と宝玉で飾られた豪奢な椅子にゆっくりと腰を預ける。

「壮観でしょう?」

斜め上からの問い掛けに、ハクは改めて広間を一望した。初めて経験する視界の高さに新鮮さを覚えつつ、紺青の瞳を広間の隅々まで巡らせていく。
この、一段高い場所から広間を見渡すことはハクの日常だった。何らかの目的で国王と、国内外の為政者や貴族が集う度に玉座の斜め後ろに控え、国王であるヨナを警護しつつ広間の人物の挙動を観察するーーそれは高華の重臣であり国王の懐刀である青年の職務だった。

見え方が違うな、と当然の感想を脳裏に浮かべハクはひとつ息を洩らす。
常よりも低い目線ーーだが、正面からこの場の全てを見据えることのできる視点。この国の、最高指導者のみに許された光景。

「そうっすね……確かに壮観です」
「その場所からは、高華の全てが見渡せるわ」
「はは。そりゃあ気分もよさそうだ」

からりと笑う青年の横顔を、ヨナはちらと一瞥すると墨色に覆われ痛いほどの静寂が横たわる広間を改めて眺め遣った。

気分がいい?何を言っているのだろう、この男は。
僅かに眉を顰めるも、しかし他人事を、とは思わなかった。彼はーー嘗ての風の部族長であり現在は中央の軍部を統括する高華の雷獣は、きっと玉座を手にしようと常と変わらず堂々たる佇まいをみせるのだろう。

「ーーハクは、国王になりたいの?」
「まさか」
「お前になら、きっと立派に国を治められるわ」

淡々としたヨナの声音に、ハクは怪訝そうに彼女の様子を振り仰ぎ伺い見た。燭台の仄かな灯火に照らされた女王の表情は、紡ぎ出された旋律と同様に淡々としたものだった。

今回のような特例を除けば、本来男子による王位継承が行われるこの国において、ヨナの言葉を現実のものとする方法は二つ……婚姻による譲位と、それからーー
有り得ない、考えたくもない可能性に口を噤み彼女の言葉の続きを待つハクの耳朶を、まるで謳うように滑らかな、他愛のない呟きの如き声音が響き渡る。

「欲しくなったら奪いなさいーー私を、殺して」
「陛下!」

途端、切羽詰った風情の鋭い声が聴こえて。
ゆったりと振り返れば、焦燥の色濃い光を湛えた双眸で、険しい表情を己へと向ける青年の姿がヨナの瞳に映し出される。

彼が主である己をーーそう、嘗てスウォンが父上にそうしたようにーー殺す可能性に怯えているのか?否、そうではないと彼女は思う。ハクは王位など、露ほども望んでいない。

ーーああ、怖いのか。
単に、私の死が恐ろしいのか。

馬鹿な男だと女王は思う。それは決して軽蔑ではないけれど、哀れみにも似た眼差しを彼女は己の寵臣へと向けた。
絶対に死なせないと、私に力強く言い放ったのは何時の頃のことだったのか。もう、随分と昔のことのような気がする。

(王とは、死と隣り合わせなのだよ)

今は亡き父上の言葉が脳裏に蘇る。あの、しあわせだった日々に前触れなく突き付けられた父の言葉。
自らが死と隣り合わせの立場にありながら自国の……自身の盾ともなるはずの武器を厭い戦を禁じた父上の信念はいかばかりか。

「冗談よ」
「……あんたらしくない冗談だな」
「私らしい?そんなのーー誰が決めたの?」

ほんの少し口調をやわらげ、ヨナは軽く肩を竦めてみせると広間へと向けられたままの瞳をそっと伏せた。瞼の裏に各部族の長や高官が居並ぶ、背筋が震えるような光景を思い描いてひとつ深呼吸する。

「私は、王よ。何時でも死ぬ覚悟はできているわ」
「陛下、あんたは死なせねえ。その為に俺が存在するんだ」
「……そうね」

信じているわ、と告げながら、信じられるはずがない、とも思う。

失敗すれば、舵取りを損なえば、待っているのは死あるのみだ。
連合体制である以上、この国は私の一存でどうにかなりはしない。滅びの道を突き進むことはないはずだ。だが一方でそれは、各部族の信を失えば簡単に首を刎ねられるということでもある。

ーーそう、父上のように。

父上は強い方だったと、玉座に就いて初めて思う。
ただ静かに、淡々と、死を覚悟しながら己の信念を貫き通した。そしてそれは並大抵のことではないと、女王となって私はやっと理解できたのだ。

王とは、孤独なものだ。
王とは、人であることを棄てるべき存在だ。

王が守るべきものは家族や恋人や友人ではなく、国の土地と権利と財産と、名も知らぬ民衆なのだ。

そしてハク、お前は。

「……ねえ、ハク」

一旦瞑目し、ヨナは吐息と共に誰よりも愛おしい男の名を呼ぶ。この国の誰よりも強く、国にとっても女王にとっても掛け替えのない才能を持つ、どうしようもなく馬鹿で哀れな男の名を。
馬鹿な人、と胸の内で呟きながらヨナは振り返るとしゃらりと衣擦れの音を立てながら足を踏み出し玉座に腰を下ろす青年の正面に立った。

「陛下?」
「ハク、そのままで」

無人の広間から己の視界を遮るようにして佇む女王の、今は薄墨に覆われた白皙のかんばせを振り仰ぐとハクは切れ長の双眸を僅かに顰める。
彼女の立ち位置は、彼女こそが己の覇道を阻む障壁であると示唆しているかのようでーー

「陛下、あんたは……」
「なあに?」
「ーーいや、何でもねえ」

燭台の灯火に照らされた、暁前の晴れ渡った東の空の如きいろの瞳が己を見据える。その眼差しに昏い影は見当たらないのに。

(王座から、降りたいのか?)

脳裏に浮かんだ問いは、だが目の前の女王が見せる悠々たる笑みに抑え込まれ、結局ハクの唇から紡がれることはなかった。

俺は王位なんざこれっぽっちも望んじゃいねえ。それを、彼女が知らねえはずがない。
ならば何だ?この人は何が言いたい?
何を考えている?彼女は俺に、何を望んでいる?

逡巡する青年の疑問と思考は、明確な回答を得られぬままやがて女王が奏で出した鈴の音のような笑い声に搔き消されていく。

「ねえ、ハク……遊びましょうよ」

くすくすと笑いながら女王が告げる。
脈絡のない主の申し出に瞠目し、まじまじと己をを凝視する青年に向けて軽く小首を傾げると、ヨナは蠱惑的な笑みを浮かべた。
それから、重々しい装束から覗く細い指先で帯飾りにと幾重にも結われた絹の組紐のひとつを摘み上げると円い唇を薄く開く。

布と布が擦れる乾いた音が、静寂に沈む周囲の空気を奇妙なほど震わせた。















『soulstation 1』
なんて退屈な世界にいるんだろう 君に















尊敬する絵師様であり大好きなお友達でもある、もめ雄さんからのオーダー品です。
以前描いていただいた美麗過ぎるアテサガ絵へのせめてもの返礼品でもあります。
私得以外のなにものでもないような内容なのに快く受け取ってくださったもめ雄さんの懐の深さに感謝しかない……!
もめ様ありがとう本当にありがとう(ू˃̣̣̣̣̣̣︿˂̣̣̣̣̣̣ ू)



プロフィール

月桜キキ

Author:月桜キキ
月桜キキと申します。
数年振りに二次創作の世界に出戻って参りました。普段はしれっと会社員やってます。

暁のヨナ、聖闘士星矢(無印)を中心に、他ジャンルも時々。
NLBL混在しますのでご注意!

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