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ハクヨナss『楽園』2/2。ユン+ハク→←ヨナ。

✴︎



「……あ、良い匂い!何かしら」

ふわりと周囲に漂う甘い芳香を感じ、買い物ついでに、それから後学の為にと色とりどりの装飾品を見て回っていた少女は菫色の双眸を煌めかせた。
好奇心に溢れた表情で周囲を見回し“良い匂い”の出処を捜す様子は何処にでも居る若い娘のものであり、彼女が嘗てのこの国の王女であり城を追われ数々の修羅場を潜り抜けてきたとは到底思えないような無邪気な姿だ。

「麝香、だと思いますよ。つってもかなり混ぜモンがしてある。大衆向けの練香じゃないすか?」
「大衆向け?でもすっごく良い香りよ!城で女官が私にって勝手に焚いていたものよりずっと素敵な香りだわ」
「勝手にってあんた、無駄にあんな高価なモン……つーか放置してんなよ」
「五月蝿いわねっ!だからお前に……」

(いやだからもう何度目?てかホント、往来でイチャつくのやめてよね!じゃなくて!)

夫婦漫才か!と突っ込みたくもなる、主従であり幼馴染であり師弟である二人の遣り取りに慣れ切ってしまった天才美少年としては普段なら呆れつつも軽く流すか冷たい視線を送る処なのだが、今回は内容が想定外過ぎて思わず頓狂な声を上げてしまう。

「ちょっと待って!ヨナはともかくとして雷獣!何でサラッと組香とか出来る訳⁉︎趣味⁉︎」
「イヤ別に。興味はねーけどまあ、仕事柄っつーか必要に迫られて」

それに対し、元将軍は顔色一つ変えずに……否、微妙に厭そう且つ底意地の悪そうな表情を浮かべており、その隣では紅い髪の姫が何やら気不味そうに視線を泳がせていた。

「……ああ、ヨナ絡みね」

それならばまあ、とユンは胸を撫で下ろした。雷獣は武人とはいえ同時に宮仕えの、それも王女付きの身だったのだから恐らく香道に携わる機会もあったのだろう、恐らく。それ以外の可能性はーー絵面的に考えたくないと強く思う。
そんなユンの思考を知ってか知らずか、ハクは不機嫌を顕にしつつ大仰な溜息を吐いた。因みにその視線はしっかりと隣で小さくなっている少女に向けられている。

「組香ねえ。何処かの跳ねっ返りなお姫様が中々香の聞き分けが出来ねーってんで、組香の練習相手をしろと直々に御指名下さいましてねえ。終いにゃ気に入った香が見付からねーってんでこの俺に調香しろと。つーか何でよりにもよって俺だよ!」
「だって!仕方ないじゃないハクしか頼める人が居なかったんだから!」
「山程居ただろーがよ!どんだけあんた付きの女官が居たと思ってんだ!」

ユンへの説明とヨナへの嫌味を兼ねての発言は、当時の状況やら立場やら色々な理不尽さが蘇ったのか、結局嫌味を通り越して怒気を孕んだものになり、対して売り言葉に買い言葉とばかりにヨナも応戦する。喚き合いとも戯れ合いとも取れる応酬は、しかしユンが止めるまでもなく早々に終息を迎えた。

「……女官なんて、皆本気で私の相手なんてしてくれないもの。双六だって貝合だって、無理にでも私に勝たせて何も教えてくれない。香だって、私の好みなんて知りもしないで!ちゃんと正面から向き合ってくれるのはハクだけだったもの……だから」
「ーーそう、でしたね……」

失礼しました、と引き下がる青年の苦虫を噛み潰したような顔と、少女に向けられた双眸に宿る複雑な色ーー恐らく当時、相当不本意だったのだろう。拭い切れない憤りと、恵まれた境遇だからこその孤独に身を置かざるを得なかった彼女に対する憐れみと、それから紛れもない歓喜を見て取り、天才は力なく肩を落とすとぼそりと呟いた。何だよコレ、予定調和か。

きっと幾度となく繰り返されて来たのだろうこの応酬は、雷獣による無意識下での確認作業ではないのか。

(そんな消去法的な“唯一”で満足しちゃう訳?ほんっと安いよ!安過ぎるよあんた!)

アホらしいことこの上ない。だが余りにも不憫だ。勿論本人は納得済なのだろうがーー何か少しでも、ほんの一欠片でも彼への報いはないのだろうか。
己の絶対者である神官と、似ても似つかないのに何処か共通する行動理念の黒髪の青年に、何時の間にかかなりの肩入れをしてしまっている自分にユンは内心苦笑を洩らした。

「で、雷獣はヨナの練習に付き合う為に香道を学んだんだ。しかも調香まで任されて」
「そういうことだ。全く……此処まで無駄な知識ってのも珍しいぜ」
「あら、そんなことないわよ。たった今役に立ったじゃない!」
「……。ええ、そーっすね」

一応、感謝はしていたらしい。申し訳なくも思っているらしい。けれど何故ハクがくだらなくも理不尽な彼女の要求を呑んだのか、哀しいことに恐らくヨナは何一つ理解してはいないのだ。

「そうよ!それにあの頃だって結構楽しそうにしてたじゃない!」
「そりゃまあ、勝負事は気乗りしなくとも全力で掛かる主義っすから」
「まー憎たらしい!」
「やっぱり雷獣の連戦連勝?」
「当然だ」
「ちょっと二人共!何よやっぱりって!何よ当然って!」

何時もの調子で喚くヨナを横目に、ユンは他愛のない質問を投げ掛ける。其処に深い意図はなかった。何かを引き出したかった訳でもない。緑龍でもなし、訊き出した回答を揶揄の種にするつもりもなかった。

「雷獣は、それで好きな香とか見付かったりした?」
「イヤ全く。つーか俺、香は伽羅しか使わねえし」

果たして。
ちょっと途方に暮れるような、聞き慣れない言葉が再び。しかも真顔ときた。

やっぱりそれは絵面的にどうなのかとか、あーやっぱ貴族ってめんどくさ、とか取り留めもないことがぐるぐる回って何も喋れないでいるユンを押し退ける勢いで、件の跳ねっ返りの姫君が不平不満の声を上げた。

「ちょっとハク!何でお前がそんな貴重品使ってんのよ⁉︎私だって滅多に焚けないのに!」

そうだ。伽羅は王族ですら普段焚き染めることも、聞香増してや組香に使うことなどもあり得ない、沈香の中でも稀少な最高級品だ。それを、香になど無関心な男がーーと、城でハクと過ごした三年余を思い返しながらヨナは首を傾げる。彼があの印象的な、涼やかな芳香を身に纏っていたことなど、一度だってなかった。

「……ハク、私伽羅どころかお前が香を使ってたことなんて知らなかったわよ」
「あんたの御守りに香なんざ不要でしょうが」
「な……っ!」

素でバッサリと切り返され、二の句が継げず憮然とした表情でヨナは幼馴染の見慣れた端正な顔を睨み付けた。

何だかとても居心地が悪い、嫌な気分だ。彼女は円い唇を小さく咬み、青年から視線を外す。

「俺はあんたと違って、無駄遣いはしませんから」

普段なら、五月蝿いと喚き出すような科白にも彼女は反応しない。そんな在り触れた嫌味ではなく、もっと他の、見えない何かがとても重苦しい気持ちにさせるのだ。

気持ち悪いと眉を顰めながらも、ヨナはその原因が掴めず、只遣り過ごすしかなかった。それでも現状の居心地の悪さからこのまま黙っている訳にはいかず、とりあえず思い付くまま言を紡ぐ。

「知らなかったわ、ハクって好きな子と逢うのに凄い香を使うのね」

普通に喋ったつもりだった。何だか妙に気が重くて笑顔はなかったかも知れないけれども。
変なことは言っていないとヨナは思うのだけれど、何故か二人共無言で此方を見ている。

「……はあ?女?何で?」

何呼吸分かの時が過ぎた頃、意味が分からないといった表情を浮かべそれをそのまま投げたのは少女の幼馴染だった。弾かれたように顔を上げ視線を合わせると、彼は不審者でも見るような目で己の主である筈のヨナを見ていた。不躾にも程がある。だが常と変わらぬハクの態度に、ヨナは何故だか重たく息苦しい気分が軽くなるのを感じていた。

(……あら、心の靄が晴れたみたい。何でかしら?)

以前、城に居た頃ヨナは好きな人ーー彼女の従兄が登城する時には決まって特別高価な香を焚いていた。だからハクも同じように、好きな子に逢いに行く時香を使うのだと彼女は考えたのだ。
けれど彼は違うと言う。そしてその言葉で胸の痞えが取れ、何故だか安堵している自分が居る。不思議だわ、とヨナは首を傾げた。

(香なんて……別に私を差し置いて、なんてことは思っていないのに。それに私だって沈香が特別好きな訳ではないし…ハクにそんなこと、求めるつもりもないわ)

「姫さーん、あんた人の話聞いてます?」
「え?……っ、ごめん!いいの気にしないで!」
「……。いいですけどね、別に」

大仰に肩を竦めると、ハクはこれ以上の追求をせずに話を切り上げた。急に不機嫌を顕にしたり唐突に元に戻ったりといったヨナの妙な振舞いが気にはなったが、好きな子云々といった彼女の言葉の根拠は直ぐに推測出来る。彼女はスウォンに会える日は必ず沈香を衣裳に焚き染めていた。そういった類のことを彼女は言っているのだろう。
ある意味彼を奈落の底へと突き落とすようなその言葉に、ふざけるなと怒鳴り付けてやりたくもなるがまあ、何時ものことなので軽く流しつつ、だがこれ以上は彼女に辛い記憶を思い出させかねない。そう判断してのことだ。

「とりあえずあんたが伽羅の使い途も知らねえ馬鹿姫だったということは分かりました。いや、以前から存じ上げておりましたがね」
「……不敬罪で処刑してくれようかしら」
「ほう、その細腕で俺を殺ろうってか」

(……ヨナって、そうなんだ)

結局戯れ合いに落ち着いた二人の遣り取りを無言で眺めていたユンは、どう言葉を掛けて良いのか少し迷う。
この一連の流れでのヨナの態度は非常に分かり易いものだった。当の本人は自分の感情を全く理解していないようだが。

(ふぅん……。でも何か、照れるよね)

無自覚の恋心、とでも表現すべきだろうか。知己のそういった場面を目の当たりにするのは何だかこそばゆく、むず痒いものがある。俺が照れてどうするよと自分自身に突っ込みつつ、ユンは少女から黒髪の青年へと視線を移した。少女の感情の向かう先が彼である以上、照れ隠しに彼女から意識を逸らすための受け皿には最も不適格な相手ではあるが、仕方ない。
この事柄に対し傍観者であるユンは、当事者であるハクの意向を探る必要があった。

彼はどうするつもりなのだろう。主従という二人の関係性を改めるべく一歩踏み出すのか、見て見ぬ振りをするつもりか。それとも頑なに、ヨナの感情を否定し拒絶するのか。

とりあえず俺は見て見ぬ振りするよと、何とか言外に己の意思を伝えようとユンはハクに視線を合わせた。だが、ヨナと共に漫才の如き様式美に興じているハクの表情は年下の幼馴染を弄る意地の悪い少年そのもので、要するに何時も通りだった。

(って!雷獣、気付いてない……!)

予想外の展開にくらくらする思考回路を何とか整理しつつ、ユンは掛けるべき言葉を探す。
本来ハクはヨナの感情の変化には敏感である。だがそれは必ずしも彼が抱え込む恋情によるものではなく、何方かといえばヨナを生かすという彼の最大の目的に起因するものだ。詰まりはヨナの心が絶望に、死の淵に引き摺り込まれないよう最大限の注意を払うべく特化した感性ということだ。
だからこそ、ヨナの生死に影響を及ぼす可能性の低い今回のような状況では全くその能力は発揮されないのだろう。

(雷獣って本当は鈍感なのかな……違うか。多分最初っからヨナのこと、諦め切ってるからだ)

だとすればもう雷獣の出方を伺う必要はない。気にすることといえば、今後二人の関係が変に拗れないかどうか位だ。そうでなくともこちとら七人の大所帯で、其処には他者の思惑も入り混じってくる訳で。ああめんどくさ。特に白龍とか緑龍とか!

「ねー、じゃあ雷獣は何時その香を使ったのさ」

天才を自称する頭脳が余り考えたくもない面倒な未来予想を弾き出したため、ユンは現実逃避のためーーそれからもう一つ、純粋な好奇心を満たすべく、彼が言うところの無駄な知識を蓄積せんと問い掛けた。その声に、幼馴染に弄られ続けいい加減藁にも縋る心持ちの少女が待ってましたとばかりに乗ってきた。

「そうよ!答えなさいハク!」
「あんたのその科白、そっくり御返ししたい処ではありますが……まあいいでしょう」

己に向けられた幼馴染の青年の、馬鹿にし切った表情と言葉に、意地悪!可愛くない!とお決まりの科白を投げ付け少女は青年を上目遣いで睨み付けた。その姿はさぞかし可愛らしく彼の目に映っているだろう。それが容易に想像出来てしまい、ユンは虚脱感に襲われながらもこれ以上付き合っていられるかと軌道修正に掛かる。

「いやもうホント、話進まないからさ……」
「あー悪ぃ、伽羅ね。ありゃあ戦で使うもんだ」

あっさりと、今度こそ納得できるハクらしい用途を提示され、だが今度は具体的な利用法に対しユンに疑問が生まれた。

「戦って……どうやって使うの?もしかして、浴びた返り血の臭いを消すため、とか……」
「ユン君、天才の名が泣くぞ」
「悪かったねっ!」
「何よ!勿体ぶってないで教えなさいよ!」
「えーじゃあ姫さんが説明して差し上げたら如何っすかー?」

ここぞとばかりのヨナのユンへの加勢はいとも簡単に返り討ちに遭う。へらりと笑いながらの切り返しが絶妙に彼女の神経を逆撫でしているのが傍目にも分かる。このままだと確実に痴話喧嘩の流れになるだろうし、もうこの際ヨナの言葉は丸々流そうと、ユンは密かに心に誓った。

「貴重な香なんだよね、それを戦にって……苔脅し?それとも此処に凄い奴がいるって誘導するーー囮?」

でも雷獣って実際凄い奴だもんね、囮じゃなくて本命だよねえと続け、首を傾げるユンに向かい謎掛けに早々に飽きたらしいハクがおよそ丁寧とは言い難い解説を始めた。

「伽羅は権力の象徴と言われてる。値段も桁違いだ。王族といえどおいそれと使えるモンじゃねえ」
「うん」
「それを使うんだよ、王族でもねえ一介の将がーーそれもガキがな。敵将と相対する時だの他国の王族やら国使やらの謁見の時なんかにな」
「ーーあ!解った小細工だ!へぇ、雷獣って意外と地味なことするんだねー」
「当たり前だ。小細工だろうがそれで威圧出来んなら上出来だろ」
「……何かすっごい嫌味。それってウチは金持ちよって見せ付けてるのよね。性格悪いわよハク」

すんなりと得心いった様子のユンとは違い、何か思う処があるのか渋い顔のヨナが非難の声を上げる。

「嫌味でも性格悪くても、コレが小国には地味に効くんです。俺の嫌味で無駄な衝突が回避出来るなら充分でしょ」
「まあ……そうだけど……」

益々渋い顔で何かを言い淀む様子のヨナを見咎めたハクは、つかつかと至近距離まで歩み寄り、立ち塞がるようにして彼女の菫色の双眸を覗き込んだ。

「何か御不満でも?姫様」

もう一歩踏み出せば触れ合う距離で真っ直ぐに見詰めてくる、誤魔化しの効かない眼差しに居た堪れない気持ちになる。こういう時、視線を逸らしたら負けなのだとヨナは彼と共に過ごした短くはない時間の中で充分に学習していた。過去の戦績は五分五分で、一方に余程疚しいことでもない限り簡単に勝敗が決する訳ではない。そして寧ろこの幼馴染相手に睨み合いで押し切ることは彼女にとり難しいことではないーーなかった筈だ。

なのに今日は全く勝てる気がしない。否、このところずっと劣勢なのだ。何でだろうとヨナは自問するが納得のいくどころか答えの欠片すら見出せない。疚しいことなんてないし逆に非難したい位なのに。

不満?不満なら大いにあるわ。何故だか私、お前をまともに見詰め返せない。お前の顔が見れないわ。息苦しくて逃げ出したくなる。そういえばさっきも胸が苦しかった。
そうだわ、きっとあの香の所為よ。お前が調香したあの香に私はきっと呪われているのよ。

(匂い一つで戦に勝てるなら、私を呪うなんて容易いわよね)

僅かな時間が途方もなく長く感じられる。息苦しくて気分が悪い。もう負けで構わないと、ヨナは半ば投げ遣りな気持ちで幼馴染から視線を逸らした。

「……とっても不満よ。ハクには騙された気分だわ。お前はまるで呪術師ね。香に意味を持たせることが出来るなんて知らなかった」
「や、意味っつーか応用しただけなんすけど。てか騙されたって何だよ」
「ーー私、ハクが調香してくれた香り、とても好きだったわ。好きだったのに……騙された!お前、私に呪いを掛けたのね⁉︎私がお前に勝てないように!」

堰を切ったように一気に捲し立てる少女の姿を、ハクは一瞬呆気に取られた様子で眺め、それから堪えられないといった風情で盛大に吹き出した。ちょっと何なのその態度はと喧しく喚く姿もまた笑いを誘う。

「いやー面白い!呪いとはねぇ。御自分の才能の乏しさを俺に転嫁して、挙げ句呪いっすか!」
「無能で悪かったわね!だって!……だって私、最近ハクに勝てる気がしないのよ。今だってーー」

威勢良く切り出したものの、結局は居心地悪そうに俯いてしまったヨナの言葉を反芻し、ハクは内心首を傾げた。彼女の言う“呪い”とは、どうやら組香の件だけではないらしい。

「剣や弓で俺に勝とうとか思わんで下さいよ」
「……そんなこと、思ってないわよ」

憮然として俯いたままの主の真意がどうにも理解出来ず、黒髪の青年は天才を自称する少年の美貌をちらりと見遣り、その優秀な頭脳が導き出す何らかの助言を求めた。
だが、少年は無表情で少女を眺めるのみで、青年の要望に応えようとはしない。

(ヨナってば、すっごい熱烈……!でも、これで二人共何も分かってないんだから)

アホらしくて反吐が出るよね。誰にでもなくぼそりと呟いて、ユンはたった今、何も分かってないと評した男の精悍且つ端正な横顔を凝視した。
あ、やっぱり分かってない。だけど分かってないなりに、どうにかしてヨナが主張する“呪い”の根源を突き止めようと探っているみたいだ。どうせあんたじゃ袋小路に嵌るのがオチなんだから、やめといた方がいいのに。

「ーー姫さん、あの香ですがね、何を基調に作ったか御存知ですか?」
「……知らないわ」

結局、ハクは呪いであるとされている香そのものへの誤解を解いていくことを選んだ。相変わらず視線を逸らし憮然とした少女の様子には一先ず構わずに。

「西の果ての国で採れる香木です。稀にこの市で取引される他は、高華国ではまず御目に掛かれない代物です」
「西の、果ての国……」
「距離的な問題で殆ど供給がなく、あったとしても輸送費用が莫大なんで値段は法外。嘗ては王への献上品にもなったそうですが、あまり好まれなかったようで上流階級にも殆ど知られていない。ですから儀式にも採用されず政治利用もされてはいない」

要するに呪術師が使う類の香木ではありませんよと、彼にしては懇切丁寧に説明するもヨナの心の琴線に触れたのは、幼い日に聴いた夜伽噺の舞台のような遠い異国の存在だった。

「ーーどうして、ハクがそんなもの……」
「まあ、部族内の交易関係は一応俺が責任者でしたんで。たまたま視察中に見掛けたんですけどね」

甘味の薄い、珍しい匂いの香木だったんで目に留まりましたと付け加え、ハクはふと双眸を細め、眩しそうに幼馴染の少女を眺め遣ると一旦切った言葉を再び紡ぎ出した。

「あんたに、似合うと思いました。手にした理由はそれだけです」

しっとりと低く響く声音がヨナの心に緩やかに沁み渡る。波紋のような軌跡を描き浸透していく思いも寄らない言の葉は、彼女が抱え込んだ息苦しさ、心の痛みを包み込みゆっくりと、だが確実に癒してゆく。

「ーー私、に」

ああ、まただ。また心が軽くなった。これは一体どうしたことだろう。だって変だわ、足元が覚束ないの。浮き足立つような、碇を外されたような。
ハク、やっぱりお前の仕業なのね。きっとお前が呪いを解いたからーー

言いたいことは沢山ある筈なのに何故だか口が動かない。言葉を失い茫然と立ち尽くす幼馴染の少女に向かい、ハクは少し困ったように、愛おしさの溢れる眼差しでやわらかく微笑う。

何て顔してんですか、なんて柄にもなく優しい口調で。やめなさいよ恥ずかしいじゃない。だってどうしよう顔が熱い、なんて。

(何て、単純ーー)

昔何処かで思ったような言葉が前触れもなく脳裏を掠め、ヨナは唐突に我に返った。
何時、どんな状況でそんなことを思ったのかしらと朧げな記憶を辿り始めた彼女の耳朶を打つ、今度は彼女の望む通りの常と変わらぬ青年の発言。

「だって姫さん、王侯貴族の趣味に合わない香なんて、跳ねっ返りの姫君にはぴったりだと思いませんか?」
「ーーやっぱり処刑してくれるわ」

霧散する記憶の欠片をそのまま放棄し、ヨナはまるで助け舟の如く発せられた幼馴染の悪態に乗せられることに決めた。幼い頃からずっと繰り返してきた、くだらない遣り取りが心地好い。

うわぁ台無しだよ、なんて声も届いたけれど、取り敢えずヨナは聞こえない振りを決め込んだ。



✴︎



両手一杯に買物袋を抱えて、三人は仲間の待つ今宵の宿へと向かう。夕刻にはまだ随分間があるが、四龍も入れ替わりに市に足を運ぶだろうと早々に買い物を切り上げたのだ。

「ま、必要なものは大体揃ったからね。でもヨナは帰って来ちゃって良かったの?」
「うん。別に特別欲しい物もないしーーあ!」
「何かありました?戻りましょうか」

珍しくも従者らしいハクの提案にかぶりを振り、ヨナはゆっくりと歩を進める。

「ねえハク、さっき市で練香が売っていたでしょう?」
「欲しい?」
「ううん要らない」

ハクがくれた香しか要らないわ。そうヨナにさらりと告げられ、ハクは一瞬だけ思考を停止させ、だが次の瞬間には軽く息を吐き苦笑と共に肩を竦めてみせた。

「そりゃどうも、光栄なこって」

思わせ振りなヨナの発言は何時ものことであり、そんなもので一喜一憂出来るほど彼はヨナを理解していない訳でも付き合いが浅い訳でもない。何やら隣で憐れむような視線を感じるが、そういった周囲の反応も哀しいかな慣れている。とはいえ今この場に緑龍が居ないことに多少の感謝をしつつ、ハクは西の空へと視線を送った。

オリバナム。それがあの香木の名称と記憶している。商人の話では産地でさえ黄金と同等の単価で取引されているという。そんな代物を今の自分にどうして入手出来るというのか。そもそもあの香木は高華国における需要がない。要は値段の問題以前の話という訳だ。……さて。

「ねえ雷獣、あんた今金策とか怪しい取引経路とかその他諸々の裏事情とか色々考えてるでしょ」
「……性分だ。気にすんな」
「ふーん、難儀だねぇ」

そんな男達の会話には全く頓着せずーー否、聞いてすらいなかった、二人の数歩前を歩いていた紅い髪の少女がまるで円舞のように軽やかな仕草で振り返った。何を思い付いたのか、その表情は明るく華やかだ。

「ねえ、私考えたのだけれど。西の果ての国へ行けばあの香木が手に入るのね?」
「……行きたいんすか、あんた」
「ええ!」

全く予想外という訳ではなかったのだろう。ヨナの提案に別段驚く様子も見せず、だがあからさまに厭そうな表情を浮かべハクは大袈裟な溜息を洩らす。

「簡単に仰いますがね。あんた往復何年掛かるか分かんねえ土地に、香木一つ買付けに行こうってんですか?」
「一つなんて、そんな訳ないじゃない!沢山買うのよ!沢山持ち帰って売ればいいのよ!」

どうかしら、素敵な話だと思わない?などと得意気に語る少女に向かい、ハクは今度こそ肩を落とし深い溜息をついた。

「あんた本当に人の話聞いてねーのな。いいですか?あの香木は高価いんです。そんなモン沢山なんて買えねえし売れねえよ」
「だから、練香なのよ!」

何がだからだよと、ぼそりと呟く幼馴染の青年にヨナは勝ち誇った笑顔で自らの壮大な計画の提案を始めた。
思い付きの夢物語を真面目に提案されては振り回される此方の身が持たない。頼むから勘弁してくれと思う一方、彼女が夢を持てるのであれば何とか叶えてやりたいとも思う。
相反する思考に翻弄される自分にいい加減嫌気が差しつつも、夢を抱くことは生きるためには必要なことだろうと、図らずも彼女の夢物語の切っ掛けを作ったハクは一先ず話だけ真面目に聞いてやることを選んだ。

「練香に加工すれば安く売れるわよね」
「確かに練香にすりゃ安上がりでしょうが、大体誰が作んだよそんなもん」
「そんなの、お前に決まっているでしょ」
「……俺かよ。つーか流石に練香の技術なんてねえよ」
「大丈夫よ、私とは違って!ハクは香道の才能に溢れているじゃない」

嫌味全開の上結局丸投げかよと呆れながらも、恐らく満更でもないだろう青年を、ほんっと馬鹿な男と白けた視線を送りつつユンが横槍を入れた。

「でもさあ、その香ってこの国じゃ需要ないんでしょ?それを輸入しても結局流行らないんじゃないの?」

それって大打撃だよと指摘する自称・天才に対し少女はふふん、と得意気な笑み。

「だけど私は好きなのよ。香りの好みなんて人それぞれでしょ?だからこの国にある香と合わせて色々な香りを作ればいいと思うの。それとね」

それから、ヨナはくるりと舞うように幼馴染の青年の許へと踏み出してふわりと微笑み掛ける。

「ハクが私に調香してくれたように、誰かが誰かのために香を作って贈るような……香で想いを伝えるような、そんなことが出来たら素敵だと思わない?」

菫色の瞳を嬉し気に細め夢を語る主の、華やいだ笑顔と紡がれた言葉の意味に、青年は驚いたように目の前の少女を凝視していた。それからふと息をつくと、降参だとばかりに苦笑する。

「ーーはい、そうですね理解しました」
「そうでしょう!分かればいいのよ!」
「でもさあヨナ、初期投資はどうするのさ」
「頑張って稼ぐのよ!」

投げ掛けた最大の課題点には単純明快な返答。ヨナらしいよねと笑いながらも、ユンは内心食中り気味だ。

何だかまた熱烈な告白を目の当たりにしたような気がする。ああもうめんどくさい。キジャとかジェハとかどーすんだよ。いっそ早く纏めちゃってくれないかな……無理か。鈍感ぶりがそっくりだもんこの二人。
盛大な溜息を洩らした処で、沢山売って広めて何時かこの国の基幹産業にするわよなどと野望に燃えるお姫様の御言葉が聞こえた。ちょっと雷獣!あんたのお姫様、基幹産業の意味分かってないんですけど。

天才による面倒な未来予想図など露知らず、もう何度目かも分からない“振り回される覚悟”を諦観と共に決めた幼馴染に少女は無邪気な言葉を向ける。

「それに私ね、あの香はハクの方が似合うと思うのよ。だから今度は私が調香してあげるわね」
「ーーイエ、御気持だけ有難く頂戴します」
「どうしてよ!」
「あんたの香道の才能、師匠はよーく存じ上げてますんで」

まーっ失礼しちゃう!と頬を膨らませる少女の紅く癖のある髪をくしゃりと撫で、それにね、と彼は続けた。

「あの香は結構強いんですよ。ですから俺には必要ありません。四六時中あんたの傍に居りゃあ厭でも移りますから」
「ーーっ!」

思いも寄らない科白をさらりと返され、ヨナは咄嗟には何も言えずに思わず息を止めた。途端騒ぎ出した心を制御出来ず、知らず頬が火照る。こんな顔を見せるなんて悔しいと、彼女はくるりと踵を返し足早に歩き出す。

(あ、雷獣の勝ちだ)

ヨナの後姿を追い歩きながら、ユンは平然とした出で立ちの男の横顔を覗き見た。
やっぱり似てるよね。無自覚に思わせ振りなとことか、そっくりだ。
そんなことを思っていると注がれた視線に気付いたハクが首を傾げる。

「何?」
「あ、ううん別に。……ねえ雷獣、本当に行くの?西の果ての国」
「さあな。取り敢えず珍獣共に訊いてみろよ」
「ーー雷獣は、行きたい?」
「そうだな」

誰も知らねえ場所に行くのは、そりゃ面白いと思うぜ?そうやって笑って、青年は数歩前を行く少女の後姿を見据え、彼女が望む夢物語を語る。

「荒唐無稽な計画だけどな。俺は好きだぜ?そーいう博打打ち。それにーー」
「それに?」
「その辺の娘達が気軽に香を選び焚けるような世の中ってのは、随分と豊かな世の中ってことだ。そういう夢は悪くない」

戯けたように笑う、彼こそが確かにそんな世界を目指していたのだろう、この街の在り様をその身に体現したかのような元部族長の青年を改めて眺め遣ると、ユンもまた晴れ渡る西の空を見上げた。
その辺の娘達の括りにヨナは入っているのかな、なんてことは野暮だから聞かないでおく。

(西の果てーー新しい、世界だ)

未だ見ぬ最果ての街に想いを馳せ、少年は逸る心を抑えようと大きく息を吸い込んだ。








『楽園』
貴方と共に辿り着いた先なら、何処だって。









…目が滑る。
自分でも訳分からない感じに強制終了。
そういや四龍って国外脱出不可だった。

香の話。一巻からの妄想です。

両片想いとか、無自覚の恋愛感情とかめちゃめちゃモエドコロなんですが、いざ書くとなるとすっげ難しい。

シーソーゲームと思いつつ、思わせ振り対決だと年季と経験値でどうしたってハクが勝つわな、とか。
現代日本って横文字だらけだな、とか。
当たり前のことばかり再認識。

横文字だけでなく、世界観に合わせるのって難しい。使っちゃダメだろと分かっていながら、漫才に代わる単語が見付かりませんでした…




タイトル元ネタはルピシアです。このネーミングで緑茶。何時もながら秀逸です。
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テーマ : 二次創作:小説
ジャンル : 小説・文学

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こ・・・香?!

キキ様こんばんは!

新作拝見致しました~~!

ちょ、なんですかこれは。
けしからん!全くもってけしからんですよ!!
一人暮らしの寝室で一人ニヤニヤしているおばさんが発生しましたよ!!!

しかも、その足でamazonでフランキンセンス1本お買い上げとか、さすが営業職、恐るべし・・・(違)

冗談(ではないですが)はこれくらいにして、それにしてもキキ様は文化、諸芸能への造詣も深くていらして、すごいなぁ、と感心しています。(うう、語彙力がない・・・)
県政のたとえも、ぶっちゃけあんまり歴史とか明るくなくて・・・
「・・・うん!佐賀県みたいなものか!」
と安直に身近な例に置き換えて理解を助けただけにすぎないのです。
いやはやなんともお恥ずかしい。

組香なんて、「ドコカノマンガデキイタコト、アルヨウナ・・・」と、一瞬脳内がフリーズする始末。
経済、芸能、政治、等々、社会人として常識レベルにさえ達していない自信がある私のコメントは、偉そうに語っているくせになんとも陳腐でこれまたお恥ずかしく・・・しかも、支離滅裂ってる・・・

キキ様のssでハクヨナ成分のみならず、一般常識から文章力まで学ばせて頂いている次第です。
昨晩は感心とキュンキュンとでどうしていいかわからず、ベッドの上で悶えるちょっとおかしな30代が生成されていました・・・

Wiki活用して最低限の知識は仕入れたので、ちょっとあと3回ぐらい読み直して、スムーズにハクヨナの恩恵を全身に取り込んできたいと思います・・・!!!

や、趣味です(笑)

kさま

こんばんは!一週間、お仕事お疲れ様でした。
誰得話にコメント、ありがとうございました〜

え、けしからんですか?ニヤニヤしちゃいますか⁉︎
ヤバイ超嬉しいです嬉し過ぎです!
人様をニヤニヤさせる話なんて絶対書けないと思っていたので、いやもうホント、本懐を遂げた感が…!
コイバナってこう、照れもありますけどそれ以前に難しくて。ピュアな恋心なぞ忘却の彼方といいますか、いい歳だからでしょうかね^^;逆に桃色系とかの方がまだ書けるという(笑)

フランキンセンス、何とお買い上げですか!とても好きな香りなのでこれもまた嬉しい(*^^*)私の営業成績にならないのが悔やまれますが(笑)
何だか恐ろしい位のお褒めのお言葉ですが、香に関しては単なる趣味です。焚くこともありますが、手軽なんでアロマオイルを多用してます。フランキンセンスも良いですがイランイランもオススメです。
ご謙遜されていますが、kさまのご考察や例えは本当に的を得ていて分かりやすく凄いなあと思っています。分かりやすいって大切なことですよね。報告書や提案書作成には必須スキルじゃないすか。まじ尊敬します。

是非また色々なご考察お聞かせくださいね。ハクヨナ萌え語りもお待ちしています(*^^*)
プロフィール

月桜キキ

Author:月桜キキ
月桜キキと申します。
数年振りに二次創作の世界に出戻って参りました。普段はしれっと会社員やってます。

暁のヨナ、聖闘士星矢(無印)を中心に、他ジャンルも時々。
NLBL混在しますのでご注意!

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