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ハクヨナ前提未来話 『路傍の花』.2 テジュン、ハク、ヨナ。ヨナが王様になりました。

君の為に、僕は何が出来るのだろう。






爽やかな香りが立ち込める、隅々まで手入れの行き届いた広く美しい庭園を、私はまるで夢を見ているような気分で見ていた。

実際のところ私はこの場所について、もっと大輪の花々が咲き誇る豪華絢爛なものを思い描いていたのだが、緑と白を中心に構成された庭園の主役は、多種多様の香草や薬草だった。
あの方らしいと、私はこの庭園の主である女性の姿を思い浮かべる。緩やかに波打つ紅い髪、紫水晶の如き輝きを湛えた円らな瞳、白磁の肌と華やかな美貌を誇るあの方を。
艶やかなあの方の立姿に重なるように、庭園の何処からか鳥の囀りが聴こえた。私は再び、用意された茶を啜りながらぼんやりと眼前に拡がる光景を見渡し、夢を見ているようだと心の中で繰り返す。
何気なく空を見上げれば、雲一つない鮮やかな紺碧。それはとても清々しく映り、やはりあの方のようだと思った。

東屋の内壁に沿うようにぐるりと設置された長椅子の端に座り心を癒すような緑を眺めていると、やがて軽やかな足音と澄んだ鈴の音にも似た微かな金属音が耳朶を打つ。弾かれるように音のする方角を振り返れば、今まで思い描いていた姿よりも更に眩しく輝く女性が、私へと微笑み掛けていた。

「姫様!」
「こんにちは、テジュン。お待たせしてごめんなさいね」

咄嗟に伏礼の姿勢を取ろうとした私を制し、その女性ーーヨナ姫様は幾重にも重ねた色とりどりの薄衣の上に刺繍を施した豪奢な緋色の厚地を被せた、裾の長い王族女性の装束をものともせず舞うような足取りで東屋の階段を昇る。

「いえっ!お招き下さり恐悦至極にございます!姫様ーーあ、いえ、陛下!」
「姫様で構わないわ。面倒な挨拶もいいから、座って」

そんなに畏まらないでねと笑い、姫様は東屋の長椅子の、丁度私の正面に位置する場所へ腰を降ろす。彼女の胸元で幾重にも揺れる首飾りが、しゃらりと軽やかな金属音を小さく奏でた。

「ーー薬草を、お育てになっておいでなのですね」
「ええ。城内の皆や近衛兵の食事と常備薬に使っているの。それとね、あの辺りでは野菜を作ってるのよ」

得意気な笑顔で庭園の一角を指差す彼女を、私は惚けたように見詰めていた。庭園を渡る風が彼女を撫ぜ、波打つ紅い髪が一房、ふわりと揺れる。

「……ああもう、纏まらなくて困るわ」

風に弄ばれた髪を片手で整え、姫様は困り顔で溜息を洩らす。ころころと表情を変える彼女の御様子は年端のいかない少女のようで、昔から変わらぬその愛らしさに私は胸を震わせた。

「いえ、とても美しい御髪です。よくお似合いかと……」
「そう?ありがとう……でもね、本当は短い方が好きなのよ」

短い髪。その姫様の御言葉は罪深い私の胸を抉る。豊かに波打つ彼女の長い髪を、嘗て斬り落とさせたのは他ならぬこの私なのだ。
返す言葉を失い思わず視線を逸らせた私には構わず、姫様は不満そうに紅い髪を一房摘まんでみせた。恐らく、私の罪に触れぬようにーーいや、そうではなく私の罪など彼女にとっては些細な事なのだろう。それほどに彼女は寛大だった。

「でもね、ハクが切るなって言うのよ。王が結い上げも出来ないような半端に短い髪を垂らして公式の場に立つつもりか、ですって」
「ハクがそんな事を?」
「そうよ!でもね、短い髪を似合うって言ってくれたのもハクなのよ。だから何か…納得いかないのよね」
「ーーそう、ですか」

正論なのは分かるんだけど。そう洩らした何となく拗ねたような表情の姫様に、私はちくりと痛む心を自覚しながらも笑顔を向けた。

「姫様、姫様は今の御姿が一番お綺麗です」

美辞麗句には慣れ切っているのだろう。私の賛辞をお上手ねと笑顔で流し、姫様は軽く肩を竦めてみせた。

本当は、もっと言うべき言葉がある事を私は知っている。
あの男にとって、姫様の御髪など取るに足らない事なのだろう。御髪だけではない。姫様が豪奢な女王の装束を身に纏おうが、たとえ農民の娘のような格好をなさろうが、奴にとっての姫様の価値に何の変化も生まれず、それを踏まえた上で必要性の部分を進言したに過ぎない。
不本意ながら、私には奴の考えが理解出来てしまう。それはそうだろう、私も……奴と同じ思いを抱えているのだから。
かといって、姫様に奴の気持ちを代弁する気にはなれず、私は姫様の御姿を讃えるのみに留めた。勿論それも紛れのない本心ではあるのだが。

冷めはじめてしまった茶の味が、少しだけ渋く感じた。



✴︎



「姫様、それで……御用件とは?」

他愛ない雑談の他、診療所の設置状況、イザの収穫状況や土地の開墾状況、商業や新たな産業の開発計画など、報告することは幾らでもあり、姫様はそれを一々頷きながらとても嬉しそうに聴いて下さる。凄いわテジュン、貴方は本当に頑張っているのねと御褒め下さった時は、天にも昇る心地だった。
だが、このような報告を求めるためにわざわざ離宮の庭園に私をお招き下さったとは考えにくい。
もっともっと私の話を聴いて頂きたい。後ろ髪を引かれる思いではあったが、私は姫様へと本題を促すため問い掛けた。
すると、姫様御自身が本題を失念なさったのか大きな瞳を瞬かせて小首を傾げた。その仕草が堪らなく愛らしく、不敬とは思いながらも喰い入るように見詰めてしまう。だがどうしようもなく顔が緩むのを自覚した私は咄嗟に口元を手で覆い彼女から視線を逸らせた。おのれ、何と勿体ない事か……!

「ーーあ!そうだったわ、テジュンに御願いしたい事があるのよ!」

お話がとっても楽しくて肝心な事を忘れていたわ。と感涙に咽ぶような御言葉と、天女の如き艶やかな微笑みを贈られ、私の鼓動が早鐘を打つ。御願い?姫様が私に御願いだと⁉︎
もしや……私に傍に仕えて欲しいとお望みなのでは!いいや寧ろ、共に高華国を治めて行きたいと……いや流石にそれはないか。
だがか弱き女の身で独り立たれていらっしゃるのだ、心細くおなりなのやも知れん。
そうだ、この私がお支えしなくてはーー

「火の部族の兵役制度の事なんだけど」

ーーですよねー。

密かに胸に抱いていた願望というか欲望というか妄想というか、とにかくそういったものが此処ぞとばかりに湧き上がってしまい、だがそれを処理する間もなく姫様御自身に叩き斬られた。
情けないやら切ないやらでがっくりと肩を落とした私に、どうしたの?などと優しい御声を掛けて下さる彼女は、やはり天女のような神々しい微笑みでーー罪深い私に罰を御与えになるのだ。

「今まで、兵の登用に関しては各部族に任せて来たし今後も基本的に任せるつもりなんだけど……火の部族は徴兵制でしょう。けれど、イザの収穫が安定している今、新たな産業で領内の基盤安定を図るなら…若い労働力が更に必要になるわよね」
「ーーはい」
「それと今後、スウォン陛下からの援軍要請があるかも知れない。その時には、兵士には遠征をして貰う事になる。今までの、彩火や国境地帯の警備ではなく自国の防衛でもない仕事を……徴用した民に強要する事は、出来るだけ避けたいの」
「それはつまり、傭兵制を採用せよと?」

私の問いに、姫様は先程までの微笑みは何処へやら、神妙な顔で頷いた。真っ直ぐに私を見据える紫水晶の瞳に宿る光は、何時か見た炎のようなーー

「絶対数は減少して構わないから、士官だけでなく出来れば全ての兵士を職業軍人に。報酬は弾んでいいわ。資金は此方で援助します。その代わり士気の高い戦闘集団をーー火の部族軍の統率力は随一と聞いているわ。傭兵を統率するのは骨が折れると聞いてはいるけれど……テジュン、御願い出来るかしら?」

姫様の御言葉を、それも私を見込んでの『御願い』に否と答える筈もない。力一杯頷いた私に、姫様はほっとしたように顔を綻ばせた。

「良かった!ありがとうテジュン。それでね、具体的な方策なんだけど……私には軍事関係の事は詳しく分からなくて。だから仔細は彼に任せているからーー二人で、決めて頂戴ね」
「ーー彼」
「ええ」
「……と……二人、でーー?」

非常に嫌な予感がする。いや、予感というか確信というか。思わず鸚鵡返しに呟いた私に、姫様は笑顔で頷くとふわりと立ち上がり、庭園の奥の方へと向けて出来る事なら聞きたくはなかった名を高らかに告げられた。

「ハクー!何処に居るのー?戻って来なさーい!」

ーーですよねー。
というか何だそれは。犬か。

姫様直々の『御願い』があの犬……いや、雷獣との共同作業だなどとは罰もいいところではあるが、避けては通れぬ道だ。ならば最善を尽くし、姫様の信頼を一層強固なものとするのだ……!

新たな決意を胸に、ぐっと拳を握り締めた私は徐に立ち上がると姫様の視線を追い庭園へと向き直った。
やがて音もなくーー比喩ではなく本当に足音もなく、草木を掻き分ける音すら風の仕業だと錯覚する程の僅かなものだったーー一面の緑と白の花園に黒い影が降り立った。
黒い髪に黒い装束。よく見知ったその顔立ちは、以前よりも少し精悍さが増しただろうか。犬のようだと揶揄してはいたものも、その佇まいは寧ろ猫科の大型獣を彷彿させる。
大刀を肩に抱え、無駄のない足取りで東屋へと歩を進める男の姿はこの庭園において限りなく異質であって、だがこの上なく映えていた。

「はいはい、御呼びですかねーー陛下?」

仕方ないのでふらりと現れてみました、とでも言わんばかりの態度の黒装束の男の気安さを、不敬だなどと咎めるつもりは私にはない。幼馴染であり、共に城を追われ苦難の末共に帰還した彼等の絆を、私は少々羨ましく思いながら眺め遣った。

「ええ、そうよ御呼びですよーーあら、その実は?」
「食べ頃ですよ、どうぞ」

そう言って、ハクは掌で転がしていた、赤く熟れた小振りの果実を三つばかり姫様へと手渡した。姫様はそれを瞳を輝かせながら両手で受け取ると、その内の一つを私へと差し出して下さった。

「あっ……有難うございますっ!」
「どうぞ召し上がってね」

それから姫様はハクへと視線を戻し、眩しいばかりの笑顔を浮かべる。何というか……実に満足気な笑顔だ。

「ああ……やっぱりお前に似合うわね、その服」
「はあ、そりゃどうもーーただちょっと、窮屈なんすけどね」
「文句言わないの!髪を結い上げるのだってとっても窮屈なんだから!私と同じよ。辛抱なさい」
「……へいへい」

畏れ多くも、姫様の御褒めの御言葉に対しあからさまにどうでも良さそうな返事をする眼前の男が身に纏う装束は、青漆と蘇芳で組まれた細帯を締めた細身の長衣だ。張りのある厚手の絹地は芍薬か何かの地模様が随所に織り込まれた艶のある漆黒で、同質の生地で誂えた長羽織の裾には金糸をふんだんに用い、地模様と同じ大輪の華の刺繍が施されている。
職務上の問題か単なる本人の嗜好か、恐らくはその両方なのだろう。装束の形状そのものは以前ハクが身に付けていたものと殆ど同型だったが、嘗てのように胸元を寛げ着流す緩い袷ではなく身体の線に沿うよう裁断された、王の隣に立ち宮中を闊歩するに相応しい衣装だ。
重く沈みがちな漆黒の装束をこうも華やかに着こなせるのは、容姿を含め奴を褒めるべきなのだろうがーー酷く、目立つ。
目的は何だろうか。疑問が生じた私は姫様へと問い掛けた。

「それは、姫様が御誂えに?」
「そうなんだけど、でも生地はハクが選んだのよ!ほんと吃驚しちゃった」

姫様の御答えに、疑問は大きくなり私は内心首を傾げた。確かに似合いはしている。だが、目立つ上に近くで見れば素人目にも最高級品と分かる絹地を選びわざわざ豪奢な刺繍まで施して?自身を飾り立てることに価値を置くようには思えぬ男が、何故ーー

答えの出ないまま知らずハクの姿を凝視する私に対し、ハクからは非常に面倒臭そうな視線が返され、一方の姫様からは何を勘違いなさったのか楽し気な笑い声が上がる。

「やだもう、テジュンったら何を見蕩れているの。うん、でも分かるわ、本当に素敵だもの!絵になるっていうのかしら?」

ーーいえ!いいえ分かりません分からないで姫様どうか誤解なさらないで下さい御願いですから!

「……え、いや……まあ……、ハイ……」
「でしょう⁉︎」
「やめなさい陛下、無理矢理同意を求めんで下さい。テジュン殿がお困りでしょう」

ついつい押されて、あやふやな肯定をしたところで思わぬ助け舟が入る。こういった会話は初めてではないのか、姫様に対して些かげんなりした表情を浮かべたハクが冷ややかに言い放った。

「だってー」
「だってじゃねえよ。てか、此処はもういいですから戻って下さい。ユンとの打ち合わせが残ってるでしょう」
「……はぁい」

不敬極まりない従者の暴言に憤慨なさる事もなく、姫様は可愛らしく頬を膨らませながらも奥宮殿に続く回廊へと足を向け東屋を後になされる。それから、くるりと舞うように私を振り返ると心が蕩けるような微笑みを御与え下さった。

「じゃあ御願いね、テジュン。また後で。夕餉は御一緒しましょうね」
「はっ、はい!有難き幸せにございますっ!」

思わず上ずった声を上げた私に、姫様は大袈裟ねと御笑いになる。
姫様が私と夕餉を御一緒下さる……何という僥倖だろう。今の私は姫様の御為なら業火にも耐えられる……!

天女の如き麗しき御姿を目で追う私に対し隣に佇む男は白けた眼差しを送ってきたが、それ以上何を言うでもなく、億劫な態度を顕に長椅子へと腰を下ろした。







現在、スウォン様率いる遠征軍の指揮者として長期不在中のジュド将軍に代わり、中央の軍事関係を統轄するハクにより姫様の『御願い』の大網を改めて説明され、その計画の遂行にあたり必要な、火の部族軍の内部資料の幾つかの提出を要請され今に至る。

麗らかな午後の青空の下、爽やかな香りに満ちた庭園の東屋で、大の男が二人して軍事関係の談議に花を咲かせる様はどれ程滑稽に他者の目に映るのか、ふと想像しては虚しい気分になる。だが、これも姫様の思し召しと気を取り直し、私はハクに必要資料の再確認を求めた。

「資料は明後日までには全て揃えよう。他に必要なものはあるか?」
「いや、とりあえずはそれだけでいい。明後日は宮廷の会議室を確保しておく」

喉が乾いたと赤く熟れた果実を齧るハクが、姫様より賜り手の内でそっと抱えたままの、同じく熟れた果実へと視線を落とす。

「おいテジュン、お前食わねーの?姫さんのお手製だぜ?」
「いやっ……!これは……」
「……大事に持ち帰って眺め回して腐らせる気か?欲しけりゃまた来て姫さんに頼めばいいだろうが」

お前は馬鹿か、と続けーー待て、馬鹿とは何事だ!失敬なーーハクは私へと哀れむような視線を向けてくる。非常に不愉快だ。
だが、不愉快だろうが悔しかろうが、残念ながら私はお前とは違うのだ。己の幸運を当然の如く享受する愚か者めがーー!

「……仕方なかろう。常に姫様の傍近く仕えるお前とは違って、私はそう簡単にこの場に立つ事は出来ぬのだ」
「いや、出来るだろ。あの人がお前を此処に招いたってのは、お前はあの人にトモダチ認定されてるって事だ。だから来たけりゃ何時でも来れんだろ」

『友達』などという予想外の科白に私は思わずハクを凝視し、それから自嘲交じりの笑い声を洩らす。
あの方と友達ーーこの、私が?こんなにも容易く、姫様は罪深い私を友と思って下さるのか……。

「ーー何と皮肉な話だろうか。いや、嬉しくない訳では断じてないのだ。だが、昔私がこの場に足を踏み入れる事を望んだ時、姫様は頑なに拒絶なされたというのに」
「てかお前、あん時はあからさまに王座狙いだったろーが」
「……そういえばそうだったな。ああ、あの時はお前に邪魔されたのだった」

苦笑する私に、ハクは眉を寄せて大仰な溜息を洩らすとまるで恨み言のように己の幸運を語り出す。全く、何と憎たらしい男だろうか。

「お陰様で、あの日から俺は故郷にも帰れず姫さんの御守りの毎日だ。どんだけやってらんねえと嘆いた事か」
「何を言う!私のお陰で公然と姫様のお傍に居られたのならば、寧ろこの私に感謝すべきだろう!」
「……あのな」

私の主張を聞き、何故か脱力した様子のハクが不本意とでも言わんばかりの科白を吐いた。

「傍に居りゃあそれだけで幸せだなんて勝手に決め付けんなよ。大体な、あの頃の姫さんは俺の事なんざ眼中にもなかったぜ」
「ーーそうなのか……そうか、それは大変だったな」
「……おい、お前何だその目は。俺に同情の眼差しを向けんじゃねえ!」

不機嫌全開といった風体で、下らねえ話はいいからさっさと食え!と促され私はおずおずと姫様から賜った赤い果実を口に含んだ。幾ら私が姫様の信頼を得ていようが、雷獣に牙を剥かれて無傷で済む自信はない。

口内に充満する瑞々しい果実の味は単に甘いだけではなく、清涼な強い酸味と、それから僅かな苦味が印象的だった。
そうか……そういうものかと妙に納得し、私は改めて向かい合わせで長椅子に腰を下ろし気怠げに脚を組むハクの姿を眺め遣った。

「ーーなあ、ハク。訊いていいか?」

すると、ハクはちらりと此方に視線を向け、それから何も言わず庭園の風景へと視界を移した。私はそれを無言の肯定と解釈し、未解決の疑問を口に出す。

「お前のその格好ーー姫様の仰る通り確かに似合うとは思う。だが目立ち過ぎやしないか?」
「……いいんだよ、それで。目眩ましだからな」
「目眩まし?何をーー」

問いを重ねる私に、ハクは再び此方を向き真っ直ぐな視線を送ってきた。気怠い雰囲気は一瞬にして払拭され、私は知らず背筋を正す。

「将軍達には話を通したが……そうだな、お前はキョウガの代理だったな。先に言っておくが、今の俺は将軍でもねえし、王の護衛と直属の軍を統轄するだけの立場だ。だから積極的に内政に携わるつもりはねえ。だが、王が関与する水準の外交に対しては、基本的に俺が前面に出る」
「……何だそれは……どういうーー」

一聞して支離滅裂なハクの言葉は私に混乱を与えた。待て。それは単なる王の側近である軍属が外交官の真似事をするという事か?だが、国政における最高の外交官は他ならぬ王自身だ。
つまりこの男は王に成り替わると言いたいのか……?

「理解出来ねえか?テジュン。外交が友好国とだけ為されると思うなよ。それでなくとも即位後間もなく、即位したのは若年の女の王だ。無論後継も存在しない。この状況で外交の場に立つ事がどんだけあの人にとって危険なのか分からねえか?」
「ーーそれは、姫様の命の危険という事か」
「そうだ。あの人を暗殺でもすれば国が混乱し弱体化すると思われると厄介だ。俺が前面に出る事であの人自身が舐められる位が今は丁度いい。高華の女王は雷獣の傀儡だとでも勘違いしてくれりゃあ儲けモンだ」
「傀儡……」
「そうなりゃ標的は俺になる。まあ、こんな小細工は何れ通用しなくなるだろうが、その頃にはあの人自身の実績も、強固な基盤も構築されてるだろ」

噛み砕いたハクの説明は確かに納得の行くもので、その理屈ならば将軍達が理解を示したのも頷ける。要するに、ハクは姫様を敵国の暗殺者から御守りする為に単なる護衛のみならず、ハク自身が的にならんとしているのだ。

「ーーだが、姫様御自身は納得されているのか?」
「……しねえだろうな。だが、まあ異人との交渉は俺の方が手慣れてるからな。それを理由に実務の方面で押し通した」

お前の言う交渉は大方商取引だろうがと突っ込んでやりたいところだったが、不満ならお前が代われとでも返されそうで、とりあえず黙っている事にする。
しれっと姫様を言い包めたなどとほざく不敬な従者は、窮屈で気が滅入るけどな、と自らが纏う装束をそう評し肩を竦めた。

「ならば何も普段からそのような目立つ振舞いをせずとも良いだろう。将軍達は姫様やお前に少なからず恩義を感じているだろうが……良からぬ思いを抱く者も存在する中で、わざわざ敵を増やしてどうする」

私の忠告に、だがハクは非常に面倒そうな表情を浮かべ、溜息と共に言うのだ。

「お前は阿呆か?次男坊。何処に間者が潜んでるかも分からねえ状況だぞ。宮廷内の雑音なんぞに一々構ってられるかよ」
「ならば皆に事情を説明して……」
「同時に間者にも事情説明する事になるだろうが」

その言い分は現状を加味した的確な判断であり、本来ならば反論の余地はない。だが、そうではないと私は拳を強く握り締めた。

「ーーハク、宮廷内には様々な思惑が入り乱れている事は分かっているだろう?それに、幾らスウォン様の御推挙とはいえ姫様は慣例破りの女の王だ。その事自体に不満を抱く者も居る中で、今のお前の在り様はどうだ?奴等がお前をどう評しているか、知らぬ訳ではあるまい」
「ーー俺の事などどうでもいいだろうが」

不快気に眉を顰め、そう吐き捨てるハクに私もまた怒りを顕に畳み掛ける。何故こうも飄々として居られるのか、私には到底理解出来ない。

「女王の犬との揶揄など可愛いものだ。『幾ら嘗ての将軍だろうが今や何の身分も持たぬ女王の情人風情が、不相応に高い地位を与えられ公然と軍を掌握している』だの『高華の“雷獣”ともあろう者が遠征に帯同もせず、女王の色香に牙を抜かれ飼い慣らされている』だの……!下賤にも程がある!」
「へえ……ま、大体合ってんじゃねーの?」
「認めるな馬鹿者!大体これはお前に向けられた暴言ではないのだぞ!下賤な中傷に曝されているのは寧ろーー」

姫様の方だと言おうとして、声が出せぬ事に気付いた。周囲の空気がそれを赦さぬような、押し潰されそうな威圧感に身体が硬直する。
刻が止まったような空間の中、ひゅんと風を切るような音が聴こえた。

「ーーそれは誰の言葉だ、テジュン」

静かな、だが怒りに充ち満ちた雷獣の声音が耳朶を打つ。凍り付いて動けぬまま我に返れば、眼前では大刀の刃先が禍々しい煌めきを宿し静止していた。
ほんの僅かでも動けば喉元を掻っ切られると認識した途端、途方もない戦慄が背筋を駆け抜ける。
本当に、牙を抜かれたなどと誰が言ったのだ。正に今、私は雷獣に牙を剥かれ斬り刻まれようとしているというのに!

「答えろーー誰の言葉だと、訊いている」
「そっ…それを知ってどうするのだ。斬り殺しにでも行くつもりか?」
「誰が行くか。下らねえ」

恐怖に耐えながらも必死に声を振り絞り問い返すと、ハクは相変わらず不機嫌な面持ちで答え、やがて大刀の刃先を私から離した。

「俺が訊いているのは、それが誰かに教えられたものなのか、お前自身の言葉なのかーーそれだけだ」

正に寝耳に水、である。思いも寄らない余りにも侮蔑的なハクの言葉に、私は恐怖も忘れ声を荒げ怒鳴り立てた。
冗談ではない。何故この私が姫様を貶めねばならんのだ!

「ふざけるな!私がそのような下賤な事を思う筈がなかろう!」
「そうか。だったら黙って聞き流せ。下らねえ戯言に一々反応すんな」
「だがそれでは姫様が……」
「優先順位を間違えるな。それとも奴等の戯言に付き合ってあの人を命の危険に曝す気か?」

淡々としたハクの口調は何処か冷徹さを感じさせ、だがその声音に確かに宿る怒りは寧ろ自らの冷徹さに向けられている様にも思えてならない。
王の守護者であればある程、姫様の御心を置き去りにーーいや、切り捨てる選択をせねばならんという事なのか?

言葉を失くし、私は只目の前の黒衣の男を見詰め続けた。そうする事しか、出来なかった。

「ーーだから、俺を同情の眼差しで見んなって言ってんだろうが」

舌打ちと、大袈裟な溜息。気付けばハクは相変わらず不機嫌そうに私を睨み付けていて、だが牙を剥いた雷獣の織り成す、息が詰まるような重苦しい空気は何時の間にか綺麗に消え去っていた。

「いや、別にそんなつもりはないぞ、断じて!」

一日に二度も雷獣に牙を剥かれる恐怖など決して味わってなるものかと渾身の力でかぶりを振る私を一瞥し、ハクは暫し逡巡するような素振りを見せた後、一つの問いを投げ掛けて来た。その時のハクの表情が一瞬、酷く辛そうに見えたのは錯覚だろうか。

「お前は、男の王がーーそうだな、宮廷の女官でも臣下の娘でも、城内の女に手出しして何か問題が生じると思うか?」
「ーーいや。まあ何だ、王妃との確執だとか、多少はあるとは思うが……」
「そうだな。で、それとこの状況と、何が違う?」

ハクの問いは謎掛けのようで、だが姫様が曝されている問題の本質が浮き彫りになる、とても分かり易いものだった。

「それはーーそうか、姫様が……女性だからーーか?」

男ばかりの国政の場にたった独り女王が立つ事の難しさの一角が、今の姫様の御立場なのかーー

「……あの人は、そういうものとも戦う必要がある。あの人が王である事を望んだ以上、俺はこの件に口を挟む事も、奴等の言い分に合わせる事も出来ねえ。俺は精々ーー結果出してあの人の期待に応えんのがいいとこだ」

口を挟めばそれこそ逆効果。かといって迎合すれば姫様が命の危機に陥る、か。確かにそれはしんどいな。
私に、そのしんどさを耐える事は出来るだろうか。ふと湧き起こった疑問を、詮無い事と即座に打ち切りハクの顔色を伺い見る。それなら私には何が出来るのかと考えながら。

「誰の目から見ても、軍の統轄はお前が最適任者だろう。第一姫様が私的感情でお前を軍事の中心に据えているとは思えない。感情を優先するなら寧ろ、お前を専属護衛のみに留め置くだろう」
「……あの人は人使い荒いからな。てかお前、あんまあの人を馬鹿にすんな。刺すぞ」
「ちょっ……!待て!何時私が姫様を馬鹿にした⁉︎」

本気で刺す気はなかろうが、大刀を片手にそんな科白を吐かれてはちょっと冷静では居られない。慌てて否定すればハクは何故かーー何故だ⁉︎ーー詰まらなそうな顔で息を吐いた。

「姫さんは、俺を軍の中心に据える事で奴等に自分がどう見られ何を言われるか、分かった上でそれでも俺を使う。結局俺が一番適任だからだ。外交の件も、俺の狙いと姫さんの目的は違うが、理由が何であれ俺が前面に出る時点で宮廷内での自分の立場が悪くなる。それを分かっててあの人は俺の申出を受けた。俺の方が自分より、国益を引き出せると踏んだからだ」

ーーこれがあの人の、王としての在り方だ。
淡々と言葉を紡ぐハクの声音からは何の感情も読み取れない。読み取らせまいとしているのか、それとも感情そのものを殺しているのかは定かではないが。

「姫様の、王としての……在り方」

私は茫然と、ハクの言葉を繰り返す。
何とご立派なーーだが悲愴な覚悟であろうか。姫様はあの若さで、か弱き女の身で……独り、立っておられるのだ。

そうだ。やはりあの方は御独りなのだ。この男はあくまでも王の守護者であり寵臣で在ろうとする。無論姫様がそれを望まれるからだろう。
だが、それでは駄目だ。それではーー

「……ハク、お前は昔から、姫様の御身を御守りする事が職務だったな」

そうだ。姫様がお前に優秀な駒である事を望み、あくまでお前がそれに徹すると言うのならそれでいい。お前に出来ぬと言うのなら、この私が姫様を御慰めすれば良いではないか。
ーーそれこそが、私の望みである筈だ。

それなのに。

「昔の姫様がお前をどう思っていたのかなど知らん。姫様の御心に何者が住んでいたのかも、知らん。だが今、姫様の寵を得ているのはお前だろう?」

ああ、私は何を言っている。
放っておけば良いではないか。この状況は、姫様の御心に入り込める千載一遇の好機ではないのか。

それなのに、胸中の打算とは裏腹に私はハクに向かい尚も言い募っていた。

「……情けないでは、ないかーー雷獣」

何も言わず、只静かに私を見据える男の双眸からは、やはり何の感情も窺えず、私は苛立ちに唇を咬み締めた。
堅く握った両の拳が震える。それは恐怖からなどではなく、紛れもない怒りから来るものだ。

ハクを、羨まなかった訳ではない。だが私には奴の真似事など出来る筈もなくーーだから、私はハクを目標に定めてなどいなかった。
私は私なりに、父の為兄の為、それから火の部族の民の為ーーそして、姫様の御為にと力を尽くして来たつもりだ。

姫様に、私が出来る事は。

「情けない……!高華の“雷獣”ともあろう者が、たった一人の女の心も護れんのか……!」

半ば叫ぶように声を張り上げる私を、ハクは凍り付いたかのように凝視しやがて小さな溜息と共に苦笑を洩らす。

「……耳が痛いな」

ぼつりと呟くと、ハクは私から視線を外し長椅子の上に無造作に転がされていた、一つ残った赤い果実を手に取ると、何処かぼんやりと眺め遣った後口に運ぶ。
苦え。と眉根を寄せる様子は何処か辛そうで。

ーー泣いているのか。
そんな事を私は思う。

「……ハク、私は宮廷で力を付けるぞ」

唐突にそう宣言すると、ハクはふらりと此方を振り返ると意外そうな顔を向けてくる。思う処は多々あれども紛れのない同志に対し私は言葉を重ねた。

「必ずや宮廷で実権を握り、姫様を貶める不遜な輩など一掃してくれる!」

高らかに宣言しながらも、流石に大きく出過ぎたかも知れないと一抹の不安が胸を過る。
だが今更取り消す訳にも行くまいと腹を括り、景気付けに一つ咳払いすればそれに釣られたような、くつくつとさも可笑しそうな声が耳朶を打った。

「テジュンーーお前、凄えな。だが……そうだな、頼むわ」

頼む、などとまさかこの男から言われるとは思わず、私は驚きに目を瞠った。こうなってはもう引き下がれない。能う限りに力を込めて頷けば、ハクもまた小さく頷き手にした赤い実をもう一口齧る。
今度は何もーー甘いとも苦いとも述べなかった。

「俺は万能じゃない。出来る事出来ない事がある。だから俺は出来る事のみ最善を尽くす。俺は俺の遣り方を変える気はねえし、あの人の隣を譲るつもりもねえ。だがな」

一旦言葉を切り、それからハクは私へと、挑むような笑顔を向けてくる。

「お前がお前の遣り方であの人の為に最善を尽くし、その上で掛かって来るってんなら、全力で受けて立つぜ?」

じゃあな。
そう言い捨てて、ハクは手にした果実を平らげると長い黒衣の裾を翻し、大刀を片手に東屋を後にした。颯爽と回廊へ向かう後姿は、やはり憎たらしい程この風景に映え、そして目立つ。あれを庇い立てるのはどうにも骨が折れそうだ。

「明後日、宮廷でな!」

それでも何とかしてやろうと決意を込めて、奥宮殿へと歩を進める背中に向かい東屋から声を掛けると、おもむろにハクは立ち止まり此方を振り返った。

「明後日?今夜だろーーお前姫さんに晩飯誘われてたじゃねえか。来ねえの?」
「……え」

さらりと告げられ、私は怪訝な顔で此方を見ているハクに、肩を落としながらも一応ーー僅かな期待に縋りつつ、訊ねる。

「……それはお前も、同席するのか……?」
「当たり前だろ、護衛だぞ俺は。それに言っただろうが。あの人の隣を譲るつもりはねえってな」

僅かな期待はいとも容易く断ち切られる。ああ、そうだったなと力無く笑う私に、雷獣と呼ばれる男は見ていて憎らしくなるような、それは不敵な笑みを浮かべた。







『路傍の花』ーEpisode.2 “主人公”
僕は、僕なりの遣り方で。







女王陛下のサロンにて。
テジュン様、敵に塩を送る。


めっちゃ好きなんですよ、テジュン。
すげえカッコイイと思うんですけど。
黄龍の予言じゃないけれど、ヨナ政権下において、少なくとも内政では彼女の片腕になれる人だと思っています。

ハクとテジュン。
テジュンって、ハクの事をハクって呼びますよね、雷獣ではなく。何かホントどうしよう、とんでもなく萌える……!
赤い実をヨナに見立てて、もうちょっと何か……とも考えましたが、ヨナを巡る対立軸よりも二人の友情に心惹かれた結果がコレだよ……

恐らく前例のない中で、若い娘が王になるって色々大変だと思いますよ。
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テーマ : 二次創作:小説
ジャンル : 小説・文学

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読めば読むほど

ハクヨナ成分薄めですけど、逆に生々しい(違)というか、実際あるとしたらこんなかんじかな、って気がしてきてます。

それにしても(まだ未婚でしょうけど)旦那が部下ってかっこいいなぁ。
しかも唯一無二の右腕で、超キレ者の部下って。
凄いですよね!

再読感謝です…!

ほんと、いつもお付き合いくださいましてありがとうございます!表現力不足にて解り辛い部分もあったとは思いますが、ご容赦を。

ハクヨナ成分確かに薄いですね。ハクヨナは前提なだけで、あくまでも次男坊と雷獣の話のつもりで書きましたんで。

旦那が部下ね、てか旦那って素敵な響きですね!
ちょっとドキドキしました。そういうの何か書きたいなー

No title

いや~カッコいい!テジュン様!
大好きです。テジュン様!
ああいうキャラに、真面目に発破を掛けられたら、ぐっときちゃいますよね。
でも今後どんなにスゴイ人物になっても、どこか残念風味は持ったままでいて頂きたい(笑)
一瞬、夢見たところで、「ですよねー」な展開に大笑いさせて頂きました。ラストのオチといい、これぞテジュン様ですね(笑)

ハクの黒装束っ!
あああああああ、すっっごく見たいです!!
黒髪・長身・男前で、痩身の黒装束が似合わないワケがないっ!
原作の番外編や過去話で、ハクが正装した姿とか出てこないかなあ
(多分出てこないだろうなあ。そして黒とは限らないし・・・)

Re: No title

テジュン様お好きですか!?
私も大好きなんです(テジュン様視点書いてる時点でお察し 笑)!ほんと泥臭くて、カッコ悪い所が堪らなくかっこいい。
> でも今後どんなにスゴイ人物になっても、どこか残念風味は持ったままでいて頂きたい(笑)
これ、まるっと同意です!残念風味が彼の萌えポイントですから 笑
でも一方で、もし姫が政権を担うなら彼女の両腕へハクとテジュン様だろうと思う位彼のポテンシャルに期待しております。

ハクの黒装束、見たいですよね!
無難に沈みがちな黒を派手に着こなせる人はなかなか居ないかと思いますが、彼ならイケると思ってます!
ハクが正装した姿、原作で拝みたいものですね〜
確か将軍時代の、甲冑着けたハクは描かれてましたけど……
可能性あるとすれば番外編か扉絵か、姫の復権エンドですかね。
プロフィール

月桜キキ

Author:月桜キキ
月桜キキと申します。
数年振りに二次創作の世界に出戻って参りました。普段はしれっと会社員やってます。

暁のヨナ、聖闘士星矢(無印)を中心に、他ジャンルも時々。
NLBL混在しますのでご注意!

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