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サガ沙ss 『piece of mind.1』 サガと沙織と黄金の面々。『メランコリー』の続きです。


「なあ、サガ」

執務室の机上に積まれた書類に目を通すサガに、入室するなり声を掛けたのはアイオロスだった。名を呼ばれ視線を上げたサガは声の主に向かい怪訝そうに首を傾げる。

「何だ」
「アテナのご様子はどうだ?」

単刀直入に質問を投げ掛けてくる射手座の黄金聖闘士に、ああこの男は昔からそうであったと苦笑を洩らし、サガは手にしていた紙面を机上に積まれた書類の束の上に置くと肩を竦めてみせた。

「特に変わったご様子は見られないがーー時折、何事か考え込まれておられるようだ」
「そうか……やはり、何か懸念されることがおありなのか。もしや新たな闘いがーー」
「それはなかろう。そうであればアテナが我々に何も仰らないはずはない」

アイオロスの言葉をきっぱりと跳ね除け、サガはそっと溜息を洩らすと午後の陽射しの降り注ぐ窓の外へと視線を向けた。

少し雲の多い、暖かな昼下がり。

ーーあの方は今も神殿の中庭で空を眺めていらっしゃるのか。

午後の仕事に入る前にアテナ神殿で見掛けた主の後姿を思い出し、彼は蒼い流星の軌跡を描く長い睫毛を震わせる。

(どうしたものか)

暫し逡巡するも答えなど見付かるはずもなく、サガは僅かにその流麗な眉を寄せ再び小さな溜息を洩らした。



外遊中のシオンの代理として教皇宮に詰めるサガは沙織と顔を合わせる機会が他の聖闘士と比べ遥かに多く、また共に在るはずだった十数年の空白を埋めようとでもしているのか、沙織は時間を見付けては彼と共に過ごそうとしていたこともあり、いつの間にか黄金聖闘士たちの間では女神に関する事柄はとりあえず双子座を通す、といった状態になっていた。

勿論、アテナの第一の補佐である教皇シオンの代理を務めているサガにしてみればそれは当然の状態ともいえる。
だが、かつて地上に降臨したばかりの彼女を身を呈して救った英雄であり、恐らく黄金聖闘士のうち最も彼女の信頼を得ているであろうアイオロスにまでこの扱いを受けることに予てから些か違和感を覚えていたサガは、再び件の射手座の英雄へと向き直り口を開いた。

「アイオロス、気になるなら自分でアテナにお伺いしてはどうだ?」
「……いや、闘いが起こらないのなら、いい」

しかしサガの予想に反してアイオロスは珍しくもその精悍な顔を曇らせた。そして小さくかぶりを振ると曖昧な笑顔で言葉を濁す。
昔の記憶の中にも蘇ってから積み重ねた幾つもの遣り取りの中でも見掛けることのなかった『らしくない』彼の様子に、サガは喉まで出掛かった言葉を飲み込んだ。

「……そうか」
「うん、悪かったな仕事の邪魔をして。私はアイオリアと共に午後の鍛錬に行ってくるよ。アテナに宜しくお伝えしてくれ」
「ーーそうか。分かった」

それだけ言い置いて、教皇の留守を預かる友人から徐に背を向けたアイオロスはそのまま振り返ることなく執務室を後にする。
乾いた音と共に、漸く見慣れた射手座の後姿を覆い隠した執務室の重厚な扉をぼんやりと見詰め、サガは三度目の溜息を洩らした。

(……言うべきでは、ないのだろうな)

最近、アテナが気を塞いでいらっしゃるようだ。

聖域の人々ーー殊に彼女と顔を合わせる機会の多い黄金聖闘士たちからちらほらと聴こえる声を、同じ黄金聖闘士であり教皇により聖域の統括を任された立場でもあるサガが知らぬはずもなく、そして何より現状最も女神の傍に控える機会の多い彼自身が直接それを目の当たりにしていた。

原因も、おおよその見当がついている。

半月ほど前に沙織と共に慰問に赴いた海沿いの街での出来事を思い出し、サガは僅かに瞼を下げた。

石畳の広場に集まった人々。優しく暖かな言葉をくれた初老の婦人。それから、女神がしあわせであるようにと祝言いだという見事な金の巻き髪の幼い少女。

(それは我々のーー私の願いでもあるというのに)

あの時、酷く辛そうな笑顔を私へと向けた女神。緑柱石のような瞳から零れ落ちるあの方の涙を止められぬまま、腕に納めたその身体はとても細く、途方に暮れたように震えていた。

己の掌をじっと見詰め、サガは表情を曇らせる。
黄金聖闘士として最強の銘をほしいままにしたところで、あくまでも人間である自分には神にとっての真の幸福など計り知れない。
ただ、彼女が憂いのない笑顔でいてくれさえすればと、そう願うだけだった。そしてそれこそが聖闘士皆の願いでもあると彼は理解していた。

(我々の願いが、そもそもの見当違いなのかーーそれとも、アテナにとって叶えられぬ願いなのか)

せめてそれが前者であればいいとサガは強く思う。彼女の幸福が何処か別の場所に在るのならばいい。その場所へとあの方が進む途を我々はただ見守り、必要とあらば切り拓いて差し上げればいい。
だが、もし後者であるならば。

サガの脳裏に、哀し気に微笑む沙織の姿が蘇る。何でもないのだと告げながら、彼に向かいごめんなさいと繰り返していた女神。その言葉の意味に気付かぬ振りをしながら、だがサガが気付かぬ筈はなかった。
彼の願いを、沙織には叶えることができないのだ、ということを。

「……幸福とは、何であろうか」

ぽつりと独り言ち、サガは窓の外の光景へと視線を移す。穏やかで暖かい午後の風景。この世界は今、女神の守護を受け束の間の安寧の時を迎えている。

力、富、名誉ーーそれらを既に沙織は手にしている。そもそも、そういったいかにも人間的で即物的なものを彼女が欲しているとはサガには思えなかった。
では、と彼は思いを巡らす。地上世界の安寧とは別の、もっと個人的な『しあわせ』とは何だろう。

それは……きっと暖かな思い出であったり、優しい時間であったり、愛する者の笑顔であったり、心に決めた誰かと過ごす穏やかな日々であったりーー

そこまで考え、サガは自らの思考を打ち切った。もしかしたら自分はーー自分達は酷なことをアテナに強いているのではないか。そう思い至ってのことだった。

「貴女にとっての幸福は、此処には存在しないというのか……?」

半ば呆然とした呟きを洩らし、サガは徐に立ち上がると執務室を後にした。










アイオロスは鍛錬所を目指し十二宮の石段をゆっくりと降り続けていた。
歩みを止めることなく石段を踏み締めていた彼は、今は誰も居ない双児宮の前で初めて足を止め、冠する名の如くのシンメトリーが特徴的な白亜の宮殿を見上げる。

「……なあ、サガ」

教皇の間に詰めている宮の主に、ぽつりと呼び掛ける。小宇宙を使っているわけではなく、故に返答など有り得ないことは承知の上だった。

「アテナの憂いを晴らして差し上げてくれと、お前に願うのはやはり酷なのだろうな」

双子座の紋様を見詰め、アイオロスは精悍な顔を辛そうに歪めながら唇を咬む。
苦々しい思いで、彼は自分がアテナにより生還を果たしてから双児宮の主が目覚めるまでの一年もの間、間近に目にしてきた彼女の姿を思い返していた。

呼吸することもなく、一切の生体反応を示さず、女神の小宇宙でただその姿を維持しているだけの抜け殻。
まるで精巧で美しい人形のような、目覚めをーー生きることを拒絶するように眠り続ける双子座の聖闘士を毎日見舞う彼女の姿。
帰ってきてくださいと、目を覚まして笑ってくださいとサガに呼び掛ける彼女の表情は……哀しみを宿した微笑は、今のそれと同じものだった。

「お前が目覚めて、やっとアテナの表情から翳りが消えたと思っていたのにな……」

深く溜息を洩らしたアイオロスはゆっくりとかぶりを振り瞑目する。瞼の裏に、数ヶ月前の謁見の間での光景がまざまざと浮かび上がった。
頑ななまでに眠り続ける双子座。涙を堪え祈り続ける女神。
教皇シオンはじめ他の黄金聖闘士達は皆重苦しい空気に耐えながら成り行きを見守っていた。

もうやめてくれと、サガをこのまま眠らせてやってくれと訴えた者もいた。
彼の弟でありもう一人の双子座。あの時の、悲痛な面持ちの彼の叫びを恐らく自分は生涯忘れることができないだろうとアイオロスは思う。
けれど、恐らく誰よりも彼と近い魂を持つ男の懇願さえも沙織は受け入れることはなかった。
たった一言「お黙りなさい」と言い放つ、誰もが初めて知る沙織の抑揚のない冷やかで厳かな声音に、謁見の間は一切の刻が停止したかのような静寂に包まれた。



サガが長い眠りから目を覚ましたのは、それから数日後のことだった。





(アテナの悲鳴を聴いて、お前は戻ってきたのだろう?)

感情を抑えた女神の言の葉。あの日彼女が奏でた、酷く無機的な旋律をアイオロスは悲鳴だと感じていた。
助けてほしいと、救ってほしいと。
神である沙織が、人であるサガに救いを求め、縋り、嘆き、悲鳴を上げている。

そんな有り得ないはずの構図は、しかしアイオロスの中に何の違和感もなく落ちてきた。それほどに、彼の記憶の中に存在する双子座のサガはかつて聖域の多くの人々が口々に謳っていたように、輝ける『神の化身』であった。

(お前にはそれができるのだろう?ならばーーアテナをお救いしてくれ、サガ)

神の化身と呼ばれるお前ならばーーこの考え方がかつてのサガを追い詰めていったのは分かっている。だが、今のサガならば重圧に潰れることはない。彼は決して己を見失うことなく力を、正気を保ち続けるだろう。己の死を……安寧の眠りを渇望しながらもそれを表に出すことなく生き続けるはずだ。

アテナが、彼の生を望む限り。

(難儀なものだな……お前も)
(勿論、覚悟はできているのだろうが)

両の拳を固く握り締め、アイオロスは蒼いあおい双児宮の上空を、険しくもやるせなさを滲ませた表情で睨み遣った。















『メランコリー』続編というか、『軌跡の果て』以外のSSは一応全部時系列順で繋げてます。
長い話を書くのは初めてなもので色々と手探り状態ではありますが、書ける限り書いていきたいです……!






テーマ : 二次創作:小説
ジャンル : 小説・文学

サガ沙ss『軌跡の果て』 総帥と秘書(仮)がイチャイチャしてるだけの話。CP色ガッツリですよ……


東の果ての国の片隅に佇むビルの屋上に立ち、黄金色に染まる街並を眺める。



頭上を、そして地上世界を覆う空は沈み行く太陽を映し出し蒼から紫紺へ、鮮やかな茜色を滲ませながらゆっくりと変貌を遂げる。
無機質な建造物の影に迫るかのように低くぽかりぽかりと浮かぶ雲は、古ぼけた羊皮紙に淡墨を一滴垂らしたようないろ。

優しく寂しげなそのいろに、連想したのは世界中の博物館に展示されている古書ではなく今はもう随分と住み慣れた聖域で、あのひとが時折手にしている蔵書。
そんな己のこころの在り様が可笑しくなって、私はひとり密かに笑った。

視界を射抜くような斜陽が景色一面を覆い尽くす。硬いコンクリートの床や屋上の通用口、それから吹き上げるビル風に弄ばれる私の髪もジャケットやスカートの裾も、天に掲げた掌もその指先に至るまで鈍い金色に上描きされ、まるで黄金色の染料を溶いた水に沈んでいるような感覚に陥った。

それは何故だかとても懐かしくてーー切なさに胸が締め付けられる。

沈み行く太陽に懐かしさを覚えるのは、遠く離れた兄を思い起こすからだろうか。
この切なさは、黄昏のいろに染まるこの世界にあのひとが存在するからだろうか。

「ーー沈まない太陽も、昇らない太陽もないというけれど」

それは自然の摂理であるし、太古からの決まりごとなのだけれども。
それを見守ることも私の務め、なのでしょうけれど。

夕陽に向かい独り言ち、それから私は一呼吸後にたった二文字の言葉を紡ぐ。吹き上げる風に乗せ、この世界に密やかに響くように。

たった二文字のそれはあのひとの呼び名。
何度も何度もこうしてひとりで呼んできた。最初は声に出すこともできなかった。

「サ、ガ」

もう一度。これは世界に向けてではなく私の内に響かせる。

たった二文字ーー本来存在するはずの、その後ろに続く文字は聖域が……私が奪ってしまった。
そして、たったひとつ彼に残された半身を質に取るような真似をして。
双子座の宿命などと体のいい言葉でーー

だから、だろうか。今更と思っているのか。

否応なしに他者の目を奪い惹き付ける端正な彼の姿を思い描き、私はそっと溜息を洩らした。
あのひとは、私に愛を向けてくれる。敬慕、性愛、執着ーー崇拝と欲の混じり合った、それがあのひとの愛のかたちなのだろうと、そう思っているけれど。

(私の愛は、拒むのですよねーー貴方は)

あのひとはずっとそうだ。
女神の愛を頑なまでに拒み、私にあのひとが求めるものといえばーー性愛と執着。地上の守護神たる女神アテナが、本来抱え込むことのないはずの感情だ。

(本当に、完璧な責任の取り方というものね)

深い湖の底で揺蕩う冷涼な水のいろを映したような、暁前の澄み渡った空のいろのような、穏やかに凪いだあのひとの双眸に昏い焔が宿るその瞬間をふと思い出す。

そしてそのさまをただ思い出しただけなのに、背筋がぞわりと震える自分に軽く舌打ちした私はゆっくりと瞼を上げ幼い頃習ったバレエのステップでくるりと半周してみせた。
辛口なスーツのスカートは生憎と私の周囲を舞ってはくれず、つまらないわと思わず肩を竦めてしまったけれど。

「ーー総帥」

半周した先に見える屋上への通用口が軽い金属音を立ててゆっくりと開き、乾いた靴音と共に聴き慣れた声が、見慣れた姿が私の意識を一瞬で浚う。

「もう終わったの?さすが私の秘書は優秀ですね」

笑いながら私は、斜陽に滲むジオラマのようなこの光景と同じ色彩に染まる彼の姿を見詰める。
ああ、なんてきれい。

「ーー貴女をこのような場所でいつまでもお待たせする訳にも参りませんので」
「あら、随分ですね。此処だってれっきとした私の持ち物なのですよ?」

地上から奪い去った熱を撒き散らしながら吹き上げる風に煽られた己の髪を、鬱陶しそうな様子で払う。そんな彼に向かい軽く肩を竦めてみせれば、彼はちいさく首を傾げ苦笑した。

「それはそうですが……此処は風が強い。お身体を冷やしますよ、総帥」
「もう仕事は終わったのでしょう?サガ」
「ーーでは、沙織」

漸く違和感なく発することができるようになったらしく、外界における私の名を淡々と紡ぐ青年に、よろしい、と一言添えて私はそのまま数歩前へーー手を伸ばせば触れることのできる距離まで。

「今日はこれから、どうするのです?」
「今からならば真っ直ぐ城戸邸にお戻りにもなれますが……」
「私、おなかがすいてしまいました」
「……では、手配致しましょう」

業務の延長の可能性がある以上、念のためと予め今夜のホテルの手配はしてあるのだし、遅くなっても特に問題にはならない。今後暫くの総帥としての業務は聖域を拠点にできるものばかりだし、明日城戸邸に戻ったらその足で聖域に帰ればいい。
そのことを重々承知の私の『秘書』は携帯電話を取り出し手短な会話ーー恐らくは今夜の食事の手配なのだろうけどーーを済ませると、軽く息をついた。

(……ああ)

意識しているのかしていないのか、私には未だに分からないのだけれど。
こんな小さなことで、合図だとでも言わんばかりにこのひとの纏う雰囲気が変わる。

グラード財団総帥の優秀な秘書から、まるでこの世界の支配者の如き圧倒的な存在感を。

私の守護する世界をこのひとが纏う黄金の小宇宙で以て従わせるようなーーこの瞬間がとても好きで、思わず食い入るように見詰めてしまう。
私の視線に気付いているのかどうか、彼はビルの影に遮られた黄昏色の風景を眺めながらその長くしなやかな指で己の襟元を寛げるとゆるりと私に視線を戻し、行きましょうかと促してきた、けれど。

「ーーサガ」

ぞわりと背筋を戦慄が走る。その指先に触れられた記憶がそうさせているのだ、と私はぼんやりと思った。
その記憶に突き動かされるままに彼の名を呼び腕を伸ばす。目の前の白い頬に指先でそろりと触れた私に、彼は一瞬驚いた表情を見せたもののそれを咎めたりすることはない。

何かに……もしかしたら他ならぬ彼になのかも知れないけれど、半ば操られているような感覚のまま私は彼の頬に触れさせた指先を、その端整な唇まで滑らせた。
それを誘いと取ったのか、サガはその長身を屈め私の背に両腕を廻してくる。彼が身に纏う、聖域での儀式用の乳香によく似た芳香が彼本来の姿と立場を私に思い起こさせ、私は思わずちいさく身震いした。

(これは、私のものだ)
(私だけのものだ)

女神のためだけの存在に、女神である私が女神らしからぬ欲を向ける。それは何と滑稽なのだろう。

苦笑を洩らし、私は背伸びする格好で両腕を彼の首元にするりと絡ませた。
それから、どちらからともなく互いの顔が近付き唇が重なる。
夜の帳に覆われる直前の艶やかで寂しいそらのいろを映し出す、深い水底にも似た揺らめきを宿した彼の瞳。そしてその一対の宝玉を覆い隠す、蒼い星の軌跡のような長い睫毛がふるりと揺れるさまが光を遮られた私の視界にぼやけて映り、やがて呑み込まれた。

ゆるりと重ねられた私の唇は幾度か軽い音を立て啄ばまれ、それからやがて深いものへと変化していく。
誘われるままに互いに舌を絡ませ貪り合う。こんな遣り取りを望む私は皆の求める女神アテナの姿とは程遠くて、けれども誰よりも女神を崇拝するこのひとが他ならぬ私にこの有様を求めるというのだから、滑稽過ぎて笑ってしまう。

お互い矛盾だらけ。でも、抱え込んだ互いの矛盾を独占し合っているのが私達だ。

口内に与えられる、穏やかではあるけれども直接的な快感に背筋が震える。ゆっくりと、でも確実に身体の奥がじわりと蕩けていくのを感じた私はそれが何となく悔しくて、せめてもの矜持とばかりに彼の首に廻した腕に力を込めてその長身ごと引き寄せた。

私の反抗にサガが逆らうことはなくて、私達はそのままコンクリートの床に崩れ落ちるけれども、私の背中が固い床に叩き付けられることも冷たい温度に触れることもない。
そんなことは分かっている。このひとは何処までいっても私の守護者なのだ。

「ーー沙織、そろそろ……行きましょう」
「だめ」

普段通りの、どうということはないという顔をして告げるサガの双眸が、私を見据える静寂を湛えた深いいろの中にほんの僅かに昏い焔がちらつくのが見えたから。
だからきっぱり一言返せば、彼はほんの少しだけ困ったように苦笑して。

「あまり……このような場所で煽らないで頂きたいのですが、ね」

言ってくれる。
貴方こそが私を煽っているくせに。

再び重ねられる唇。するりと侵入する舌に口内を嬲られ身体から力が抜けていく。抗う術を失った私を半ば組み敷くようにして、やがて彼は私の口内を解放するとそのまま首筋から胸元へと唇を這わせて。
私の身体を支えるため背に廻された掌の、指先の感触までもが、意図してる筈もないだろうにこの身に刻み込まれたこのひとの記憶を呼び覚ましていくのを感じ、私は眉を顰めきゅっと唇を咬んだけれど。

たったこれだけのことに抗うこともできない。ぞくりと背筋に電流のような痺れが走る。肩先が震え、身体の奥が疼く。

「っ、サガ……!」
「ーーはい」

堪らず発した声に対する返答はあくまでも淡々としたもので、私が音を上げてこの戯れの中断を命じるのを待っていたのだろうと否応なく理解できてしまう。

(本当に、なんて男だろう)
(私のものの筈なのに)

「……おなかがすいたわ」
「ですからーー」
「続けて……はやく、貴方が欲しいの」

さすがに予想外、だったのだろう。私が発した直接的な催促に一瞬、驚きも顕な表情でこちらを凝視したサガは暫くのーーといっても何呼吸分かの間、真っ直ぐに私と視線を合わせまるで意図を探るように。

「ーー馬鹿な、ことを」

その流麗な眉を寄せ険しい面差しを見せたのは、けれども一瞬のこと。やがて私を見据えたまま、彼は僅かに口の端を上げた。
聖域内はおろか、財団内外の業務においても忌憚なく威力を発揮する『神の如き』微笑ではなく、妖艶さと酷薄さが交じり合った何処か凄絶な印象のそれを、私は知っている。

それは世界から区切られたふたりだけの空間の中でだけこのひとが見せる、私だけのーー

「……サガ」

囁くように名を呼び、今度は明確な意図を顕に夕暮れの空と私との間を遮断する男の金色に染まる頬に指先を這わせた。
静謐に過ぎる双眸の奥に密やかに灯る焔を、もっと見たくて。

そうよ。
その焔で貴方以外の誰も求めることのない私の欲を存分に炙り出せばいい。

「ねえ……」
「ーーアテナ」
「……狡いひと」

ここで私をアテナと呼ぶ、このひとを狡いとは思うけれども一方でそれは真実だ。

地上の守護神である私の中に守護神として不要なものを構築させた挙句、それを以て私を地上世界に繋ぎ止める。
なんて出来過ぎた、すべてに都合の良い顛末だろう。

(私を護る、貴方は私のものだけれど)
(私が護る、この世界は貴方のもの)

ほんとうに……馬鹿なことだとちいさく笑い、それから私はゆっくりと瞼を閉じる。



ジオラマのように狭い極東の地方都市の、珍しくもない夕暮れの風景から、今度こそ私の存在が遮断された。














『軌跡の果て』
最果ての街からこのせかいを。















これをリメイクと言えるのかどうか。
以前「世界」というタイトルで、どっかのビルの屋上で沙織とサガが世界の行く末について語り合う話を書いたのをふと思い出したので、シチュだけ流用してみました。
久々にガッツリCPのサガ沙書いたけどやはり色々捗ります……


テーマ : 二次創作:小説
ジャンル : 小説・文学

サガ沙ss『メランコリー』 サガ←沙織でグタグタと。捏造舞台とモブ的オリキャラご注意。


昼下がりの蒼天は何処までも高く澄み渡り、真昼の太陽が燦然と世界を照らしている。

彼方から海を越え吹き抜ける潮風の行先を追い視線を泳がせると、その先に拡がる石造りの白亜の街並の至る場所に翡翠の欠片を撒き散らしたような鮮やかな新緑が眩しく映る。
翠に烟る水平線は遥か遠く、白亜の街の輪郭を際立たせるかのようだ。


聖域にほど近いこの街は遥か昔からアテナの加護を受けながら外の文化と混じり合い発展を遂げてきたのだと、穏やかな口調で説明してくれた隣に佇む長身の青年の姿をちらりと見上げ、私は思わず息を呑んだ。
慰問という名目であるからと、普段の簡素なものとは異なり襟元や袖口に金糸の紋様をふんだんにあしらった、豪奢でいながら清雅な印象の白い法衣を纏い、深紅を基調とした極彩の絹糸に色とりどりの貴石を織り込んだ腰紐を法衣の上に緩く巻いた出で立ちの彼は、陽射しを受けて燦めく長い蒼銀の髪を風の遊ぶに任せ、やわらかな眼差しで彼方へと拡がる光景を眺めている。

なんてきれいなの、と一瞬見惚れてしまった私はこれではいけないと唇を噛み締めた。

私が地上に降りる前、このひとは黄金聖闘士としての圧倒的な力に加え、やわらかな物腰と立ち居振る舞い、そして輝くばかりの美貌から『神の化身』と讃えられ崇められてきたという。
それがやがて彼のこころを壊していくのも知らずに。

ーー大丈夫、このひとはもう心弱き少年ではないのだから。

そう思いつつ、精悍でありながら何処か中性的な彼の横顔を見詰めていると、私の視線に気付いたのか彼はゆるりとこちらを向いて穏やかな微笑をその美貌に刷く。

「参りましょう、アテナーー皆が貴女を待ち焦がれております」

私を促す艶やかな低音が風に溶ける。
かつて双子座として、そして教皇として彼が度々訪れたというこの街の、皆が焦がれているのは私ではなくきっと彼なのだろう。

そんなことを思ったけれど口には出さず、私は小さく頷くと差し出された彼の手を取り白亜の街並の中へと足を踏み出した。





定期的に青空市が催されるという、街の中央に位置する石畳の広場には既に沢山の人々が詰め掛けていた。
彼等は皆暖かな笑顔で聖域から訪れた私たちを迎えてくれる。女神アテナは二百年以上この場所に足を踏み入れていないというのにーーこれもまた聖域を維持し続けてきた教皇シオンと、その使徒となったこのひとの力あってのことだろう。

集まった人々と笑顔で挨拶を交わしながら、向けられる彼等の眼差しに込められた祈り、願い、期待といった思念を肌で感じた私は隣に控える青年の様子を伺った。
人々に祈りを捧げられることを当然のこととして受け入れ、またそれに慣れている『女神』とは異なる、人の子の魂にはさぞ負担だろう。そう……人々は今この瞬間にも、私に対するものと同じだけの思念を、熱の篭った眼差しを彼へと向けている。

「……サガ」
「アテナ、あちらへ。お座りになれますよ」

躊躇いがちに名を呼んだ私を、彼はしかし普段と変わらない笑顔で広場の奥へと促す。
私に合わせたゆったりとした歩調で、周囲の人々と言葉を交わす彼の姿は堂々として、それはまるで王者のよう。

(……王者)

ぼんやりと彼の佇まいを眺め遣った私は、脳裏に浮かんだ単語をそれとなく反芻してみる。

王者。その場の総てを掌握し、自らがその中心に立てる者。

ああ、彼は王者なのだ。
神の化身という偶像ではなく、人として他者を導き統べる王者としてこの場に立っている。

彼は君主でも支配者でもないけれど、あくまでもアテナの僕なのだけれど、それでもその言葉こそが相応しいように思えた。

(このひとはもう、大丈夫)

ほっとしながら広場の隅の、彫刻が施された石造りの真新しいベンチに腰掛けた時だった。
感極まったかのような女性の呼び声がして私たちは咄嗟に顔を上げる。すると視界の先で品の良さそうな初老の女性が瞳を輝かせてこちらをーーサガを見詰めていた。

「双子座様!まあ何とご立派になられて……以前お越しいただいていた頃も光り輝くばかりの御姿でしたけれど……」
「ーー私を憶えていてくれたのですね?ありがとうございます」

一瞬、驚きに息を呑む気配を見せたサガは、けれどもすぐにふわりとした微笑を浮かべ初老の女性に言葉を掛ける。今尚神々しいと称賛される彼の笑顔の効力は絶大なようで、目の前の女性はその眦に涙すら浮かべ畏敬と歓喜を込めた眼差しを彼へと向けていた。

「詳しくは存じ上げておりませんが、双子座様は長く遠方に赴かれていたと聞き及んでおりました……無事のご帰還何よりでございます」
「……ありがとう」

かつての聖域に、彼の身に何が起こったのか知らされていない敬虔な民の言葉に、サガは曖昧なーーそれをそうと分かる者は殆どいないだろうほどのーー微笑を浮かべ応える。
ああ……彼は痛いだろうか、辛いだろうか。

聖域内の事情など外の世界に報せる必要はない。外界の余計な憶測で復活した黄金聖闘士の心を漣立てたくはない。
それは私の意志であり、聖域はこれを大前提に周辺都市や村との関わりを保ち続けてきた。

けれどもサガは……このひとは己の過去を含め事実を事実として明るみに晒すことを心の内で望んでいるのだろう。箝口と隠蔽、それこそが幼かった彼と彼の弟を苛み続け、そして彼らをあの十三年間へと追いやっていったのだから。

でも、サガは私の意志に僅かなりとも異を唱えることはしなかった。
真実を開示することは聖域の権威ひいては女神の威信の瓦解に繋がりかねないとの、それは為政者としての彼の判断なのだと痛いほど理解できる。

だってーーサガはいつも、そうだ。
己の誇りも矜持も、いのちや魂でさえ物事を動かす最善のために惜しみなく使い捨ててしまえるひとなのだ。

「アテナ様」

不意に名を呼ばれ咄嗟に我に返った私は、サガへと向けていた視線を声の主へと泳がせた。

その先に見えた光景に私は思わず息を呑む。
サガの姿を映し出しているものだとばかり思っていた初老の女性の優し気で暖かなーーそう、まるで母を思わせる眼差しが真っ直ぐに私を見詰めていた。

「……は、い」
「双子座様がお傍を離れ、さぞやお寂しかったことでしょう。本当に……ようございました」

特別な力を持っているでもない人間の女性が私に向ける、慈愛に満ちた穏やかな眼差しが、ゆったりと紡がれた言の葉が。
まるで一滴の清水のようにじわりと胸の奥へと沁みていく。

心が、静かにーーけれども確実に、揺さぶられる。

「……そう、ですね。本当にーー」

私は今、ちゃんと笑えているだろうか。己に仕える聖闘士の帰還を喜ぶ、戦女神の顔をしているだろうか。

「アテナ?」

不意に隣から低く艶やかな、そして怪訝そうな声音で名を呼ばれ、咄嗟に声の主に視線を遣れば僅かに翳った美貌が私を覗き込んで。

「……いいえ、サガ。本当に、貴方が戻ってきてくれて良かったーー」

彼に、というより名も知らぬ女性へ、そしてこの場の全ての人々へと向け貼り付けた笑顔は、我ながら取り繕った表情なのだろうと思う。
けれども彼は何も言わず、溜息の出るように優美で穏やかな微笑を私へと返してくれた。

「勿体無いお言葉……身に余る光栄にございます」
「ーーもう私に、寂しい思いをさせないでくださいね」

きっと私の反応は彼に誤解を与えてしまっただろう。
彼の真実に口を噤ぎ、彼をーー己の聖闘士の身を案じ愛と信頼を寄せる女神を演じることに対する躊躇いと、そう捉えられている。

(違う)

そうではないのだ、と。
けれどこの場でそれを伝えることは不可能で、だからせめてと私は彼の思うところの『演技』の中に真実をーー紡ぐ旋律にして唇へと乗せた。





(寂しかった)
(貴方に、会いたかった)

広場の隅に設置された大理石のベンチに腰を下ろし、私は先ほどの女性の言葉と自らの感情を胸のうちで照らし合わせながら、まるで中世の壁面から抜け出てきたような流麗な青年の姿をぼんやりと眺めていた。
広場の中央と私とのちょうど中間あたりの場所で、取り囲む人々に笑顔を絶やさず対応する彼の立ち居振る舞いは身に纏う法衣が示す通り高位の聖職者のようでもあり、彼の小宇宙さながらの太陽の如き存在感は、やはり王者にも見える。

(あの女性に、言い当てられてしまったのね)

彼の姿を視界に映しながら、私はさっき思わず息を呑んだ……こころが揺り動かされた原因に思いを馳せた。

私は、彼自身を以て私に歩む道を拓いた彼に、もう一度会いたかった。
今の私を造り上げた彼が、この地上に存在しないことが堪らなく寂しかった。

彼の姿を見たかった。声を聴きたかったーーこの手で、触れたかった。

(なんて、身勝手な)

彼が生きることを望んでいたかなんて、分からないのに。

「アテナ様」

自らの願望と選択、根源となった感情を思いもよらぬ形で突き付けられ、己の余りにも傲慢な欲を苦々しい気持ちで噛み締めていた私は、前触れもなく降ってきた幼い声にふと顔を上げた。

「ねえ、アテナ様?」

視界に映るのは幼い少女。年の頃は七、八歳位だろうか?真夏の青空のような色の瞳が真っ直ぐに私を見詰めている。背中に届く蜂蜜色の巻き毛が見事な、とても可愛らしい女の子だった。

「なぁに?」

屈託のない子供の笑顔はこちらの気分まで引き上げてくれる。私を『アテナ』と知ってはいても、恐らく女神への信仰心や縋る思いなど持ち合わせてはいないだろう少女の、純粋な好意と興味を顕にした眼差しが何故だかとても嬉しくて、私は彼女を手招きして隣に座るよう促した。
それに気付いているのかいないのかーーきっと気付いているのだろうけれど特に止める様子もないサガをちらりと一瞥して、それから視線を少女へ戻すと笑い掛ける。
すると彼女の瞳が嬉しそうに輝き、ちょこんと私の隣に腰を下ろすと内緒話のつもりなのか、耳打ちするような特有の小さな声で。

「あのひと……双子座様はアテナ様のだんな様なの?」
「…………」

一瞬、彼女の言葉の意味が理解できずに、私は思わず目を瞠りまじまじと、好奇心に満ち満ちた少女の顔を凝視した。不躾、であるだろうけれどそれはお互い様なのだし、何よりまだ子供に過ぎない彼女は私の反応を気にするでもなく、もう一度質問を繰り返す……というより、肯定されるのを前提とした確認のようだった。
そうなんでしょう?と重ねられ、私はーーどうしてなのか否定の言葉も忘れ、何故そう思うのですかと訊き返すことしかできなかった。

「だってアテナ様は凄くきれいだけど、あのひともとってもきれい。絵本に出てくるお姫様と王子様みたいだわ」
「まあ、ありがとう。本当にそうだったらとても素敵ね」

見た目の印象から連想された単なる子供の思い付きであると明言され、何となくほっとしつつやんわりと否定すると、違うの?と少女は可愛らしく首を傾げる……それから。

「お母さんからね、アテナ様のお話を沢山聞いたの。アテナ様はずっとおひとりで世界を護っていらっしゃるんだって」
「私はひとりではないですよ、聖闘士の皆が傍に居てくれます」
「聖闘士様のことは知っているわ、でも聖闘士様はアテナ様が地上にいらっしゃる時にしか一緒じゃないんでしょう?」

そこで少女は一旦言葉を止め、サガへと顔を向けた。その視線はさっきのような好奇心に溢れたものではなく、とても眩しそうなーー

「街の皆がね、双子座様は神様の化身なんだって言ってたの。だからアテナ様が他の神様を聖闘士様として傍に置くならそのひとがアテナ様のだんな様なのかなって……だって双子座様が神様ならアテナ様とずっと一緒に居られるのでしょ?」

綿菓子のようにふわふわと紡がれる彼女の言葉はとても優しくて、真っ直ぐに他者のーー私のしあわせを願う真っ直ぐで暖かなこころが伝わってくる。

「ーーええ、そう……です、ね」

幼い少女らしい、御伽噺から発想を得たような夢物語は、けれども私の胸の内を抉るように。

「そうだったらーー本当に……しあわせですね」
「ーーアテナ様?」

真実でないことを肯定することはできない。けれども彼女の優しい気持ちを否定したくはなくて私は精一杯の笑顔でそう告げた。

(あのひとは、神である私の伴侶になどなり得ない)
(あのひとの魂をこれ以上弄ぶことなど)

「アテナ様、どうしたの?何処か痛いの?」

笑顔を向けたはずなのに、どうしてなのか少女の顔が悲しそうに曇る。
少し慌てたような、どうしていいか分からないといった彼女の風情に私は自分が涙を流していることに初めて気付いた。

ああ、なんてこと……こんなはずではなかったのに。

「あのっ……双子座様……!」

切羽詰まった少女の呼び声に弾かれたように顔を上げる。あのひとを呼ばないで、大丈夫だからーー願いを声に出す前に、法衣を纏った青年の姿が双眸に映し出され、私は己の有り様に呆然としながらも彼の名を唇に乗せた。

「……サガ」
「アテナ、如何なさいました……!」

ああ、そんな顔をしないで。貴方が私に心を砕く必要なんてないのです。
私は、私は貴方をーー

「ごめんなさい双子座様、あたしアテナ様に……」
「違うの!」

必死に言い募る少女の声を遮り、私は双眸から流れ落ちる雫を拭うこともせぬまま正面に立ち尽くすサガを見上げた。
涙で僅かに揺らぐ瞳の中のそのひとは相変わらず端正で、焦燥の色濃い表情で私を見詰めていた。深い湖底のいろを宿した彼の双眸の光が苦しげに揺らいでいるーーそうだ、私は彼に誤解させてしまっているのだ。

「違うのです、この子が悪いのではないわ……私」
「それは……はい。ですがアテナ」
「大丈夫、ですからーー」

誰よりも敬虔で忠誠心篤く、そして心配症なこのひとはこんな言葉で納得などしないだろう。だからといって思わぬ形で抉り出され向き合うことすらしていないーー整理すらできていないこの感情を説明などできるはずもない。
けれど何よりも、真っ直ぐな好意と優しさを向けてくれた幼い少女のこころを傷付けたくはない。

「違うの、私……嬉しくてーー」

ちくりと胸に棘が刺さったような痛みが走る。嬉しいーーそれは嘘ではないけれど。
小さな少女の優しさに触れ確かに嬉しかった、けれど。

「ありがとうサガーーごめんなさい」

身勝手な自分を、この感情を喜ぶことはできない。肯定してしまったら、それは貴方の魂を弄びやがて歪めてしまうことになる。

だから、ごめんなさいとだけ告げて私は徐に立ち上がり縋るように彼の胸の中に顔を埋めた。突然の私の行動に一瞬身を強ばらせた彼は、それでも私を引き剥がすことはなく一呼吸の間を置いて、何も言わずにふわりと私を抱き止めてくれた。

やわらかな手触りの法衣に焚き染められた、フランキンセンスの芳香が漣立ったこころを鎮めてくれているのが分かる。
そして布地越しに伝わってくるこのひとの温もりと微かな鼓動がとても、とても。

(嬉しい、のだ。私は)
(だけど、それは)

彼の腕の中で瞑目し、両腕をそろりと広い背中に廻す。
今や遠いあの日から、ずっとずっと触れたかったこのひとはとても暖かくて、涙がーー止まらない。

「アテナ様……」

私の名を紡ぐ少女の声が耳に届く。不安げな中でも何処かほっとしたようなその響きにほんの少しだけ気持ちが軽くなったけれど。
きっと彼女の中では、そしてもしかしたらこの場に集まる人々の中で、女神と女神の双子座は、この世界中のそこかしこに転がっている御伽噺のように優しく幸福な夢物語の登場人物と重ねられやがて昇華されていくのだろう。

(私がそれを、夢物語を望むことは寂しさと恐怖を抱え込むことだ)
(このひとの魂を弄び歪めてしまうことだ)

やがて絶え間なく零れ落ちる涙が止まるのを見計らい、サガは両腕で軽々と私を抱え上げると手慣れた身のこなしで法衣の裾を翻した。
そして彼は流れるような動作で振り返り、広場に参集していた人々に向けて一言二言帰還の旨を告げる。

たったそれだけで凛として荘厳な空気を造り出せる、このひとはやはり王者なのだ。
そして王者の魂は人々のために在るべきなのだ。

一斉に頭を垂れ、或いは居住いを正す人々の様子を揺れる視界で眺め、せめてと皆に微笑を浮かべながら私はぼんやりとそんなことを思う。

(これは、愛などではない)

この場に居合わせた人々が寄せる眼差しーーそれが好意的なものであるからこそ居た堪れなくて、所在なく彷徨わせた視界の隅を蜂蜜色の煌きがふっと掠め、咄嗟にそちらに視線を遣ればさっきの少女が満面の笑顔で。

「アテナ様、おしあわせに」

夢のように優しく、幸福な御伽噺の続きを思い描いているのだろう少女のストレートな祝福に、思わず息を呑んだ私は一瞬言葉を失ってしまったけれど。

「……ありがとう」

軋むこころを抑えながら、それでも私は紛れもない感謝の言葉をやっとの思いで紡ぎ出した。





「何があったのです……アテナ」

聖域への帰還のため忍び込んだ双子座の異次元を、だが私が落ち着くまで戻れないだろうとの判断の下ーーふたり、空間の流れるに任せ揺蕩う。

私を己の両腕に納めたまま問うてくる、低くやわらかなサガの声を聴きながらそっと瞳を閉じた。
自身の問い掛けそのものに少し躊躇する様子の彼から好奇心の類は一切感じられない。主たる女神に対する心遣いと遠慮ーー線引き、ともいうのだけれどーーその真心と、今の私を捨て置くことのできない自身の立場故の責任がせめぎあい彼のこころを漣立てている。

否応なしに伝わってくるサガの感情の揺れは、私に或る種の諦観をもたらした。

(このひとを……これ以上弄んではいけない。惑わせてはならない)

「ーーあの子が、私のしあわせを願ってくれたのです……それがとても嬉しくて」

気付いたら、泣いてしまっていたのです。と、真実のすべてではないけれど嘘ではない言葉を告げれば、サガは一瞬驚いたように私を見遣り、それから少し辛そうな微笑を浮かべ。

「アテナ、貴女は誰よりも幸福であるべきです。貴女が護り慈しむこの地上でーーそれが私の、そして聖闘士皆の願いです」

こころに深く沁みるような、しっとりと優しく響く声音はとてもーーとても哀しげで。

「サガ、私は……貴方たちが幸福なら、それがいちばんのしあわせです」
「そう仰ってくださる貴女だからこそ、我々は貴女が誰よりも幸福であることを願うのです」

掛け替えのない私の双子座が紡ぐ、祈りにも似た哀しく優しい旋律に再び涙が零れそうになる。きっと、女神の幸福の在り方がこのひとにとって酷く哀しいものに映っているのだろう。

(サガ、私と貴方の願いはきっと叶う。でも本当は……どちらも叶わないのです)

私の願いは愛する人々……聖闘士の皆が幸福な生を全うし、星の宿命から解放され、それぞれが新しいいのちとして再び生を受けること。


そして私はひとり、女神として在り続けるのだ。


(貴方がそれを哀しいと、しあわせでないと言うのなら)
(貴方が思う幸福のかたちを私に求めるのなら)


「ごめんなさいサガ、もう少しだけーー」
「……どうぞ、お気の済むまで」


(私は貴方のしあわせを、願えなくなってしまう)


伝わっているはずなどないというのに、私は何も伝えていないのに、まるですべて受容してくれているかのようにーー私を包み込む彼の腕の力がほんの少し強くなるのを感じられたから。

私もまた、彼の背中に廻した両腕に力を込め、決して訪れることのないだろう未来を思う。


何も言わず、身勝手な私を優しく抱き止めてくれるこのひとの暖かな温もりのような、世界中に転がる幸福な御伽噺の続きを。















『メランコリー』
幸福の、終わりのはじまり。















何ともまあ、グタグタになっちまいました( ;∀;)
なかなか進まず苦労しましたが、やっとサガ沙らしくなってきた!

ですが、ふたりとも互いが互いに向ける感情に名前を付けない、カテゴライズしない。
というのがサガ沙に対する持論であります故非常に分かり辛いことに……




テーマ : 二次創作:小説
ジャンル : 小説・文学

星矢→サガ←沙織ss『エデン』 星矢とサガとアテナ沙織のティータイム。CP色は薄いです。


腕に抱いた、傷付き力なく横たわるあのひとは、それでもとてもきれいだった。
無造作に床に拡がる蒼い髪も、傷だらけの白い肌も、初めてその姿を目にした時と同じように清らかで美しく、ボロボロに壊れた冥衣を纏っていてもなお光り輝いて見えた。

悲しげな、それでいて何処か満ち足りた微笑。
俺を見詰める眼差しは穏やかで優しいものだった。
この地上をーーアテナを頼むと、苦しげでいながらとてもきれいな低い声が耳を打つ。あの時の俺はただ頷き彼の名を呼ぶことしか出来なかった。

それはあのひとにとってどんなに無念だったろう。最強と謳われるその力を地上の為に、アテナの為に振るうことも叶わず朝の光と共に消え行く運命だなんて。
太陽にも例えられる黄金の小宇宙を持つ彼が皮肉にも朝の陽射しに溶けて行くさまを、俺に止められる術なんて持ち合わせちゃいなかった。

俺の腕の中で幻のように消えてしまった、それが神々と聖域に人生を翻弄されたあのひとに触れた最後だった。

「……沙織さん、あんたもーー同じ思いをしたのかい?」

此処には居ない幼馴染の少女に向かい問い掛ける。もちろん返答なんてあるはずない。
俺は溜息をつくと幼馴染であり主でもある、かつての天真爛漫な笑顔を思い描いた。

あの日から、彼女の笑顔は変わったように思う。
そうーー十二宮の戦いの末、あのひとが彼女の腕の中でいのちを終わらせた日から。

沙織さんは……アテナからはかつての屈託のない笑顔が消え失せ、気高く凛としつつ慈愛に満ちた微笑を浮かべるようになった。
戦いの末、彼女はアテナとして覚醒したのだとみんなは言うけれど。

「……あれは、辛いよなぁ」

ぽつりと独り言ち、俺は苦笑すると目を閉じてあの時の沙織さんの姿を思い返した。

あの時……十二宮の戦いの後、あのひとはどうなったのかと沙織さんに聞いた。アテナの盾の光を浴びて取り憑かれていた邪悪な何かを祓われた彼はどうしているのかと。
あの優しげな瞳のきれいなひとは俺に笑い掛けてくれるだろうか、よくやったと褒めてくれるだろうかとーーそんな期待が胸を過ぎった。

けれど、沙織さんから聞かされたのは予想外の……あのひとが自害して果てたとの事実だった。
どうして、と。
彼は何かに取り憑かれていただけだろうに何故止めなかったのか、助けなかったのかと思わず声を荒げた俺に向けられた沙織さんの表情が忘れられない。

『あのひとは、それを望んでいなかった……私に救いや赦しなど求めてはいなかったのです。彼は、簒奪者ではあっても教皇ーー紛れもない為政者でした』

今にも崩れ落ちそうな泣き顔でぽつりと言った沙織さんの言葉の意味は俺にはよく分からない。

だけど、今の沙織さんーーアテナを形作ったのは多分あのひとなんだろうと思う。

「ほんと、スパルタだよなあ」

あんな風に自分の存在を、いのちを、魂を使い捨てて逝かれたら。
俺たちも沙織さんも、あのひとが示す通りに突き進むしかないじゃないか。

「ーー頑張ったんだぜ、俺」

今度こそ、褒めてくれよな。



ひとりそう呟いて、俺は晴れ渡る聖域の空を見上げた。





✳︎





教皇の間の入口付近に詰めていた侍従に目的の場所を聞き、お礼もそこそこに奥に続く廊下を駆け出した。
謁見用の広間の脇をすり抜け、更に奥に位置する彫刻が施された重い扉をノックもせずに開くと、その先には荘厳な印象の広間とは全く違う印象の光溢れる空間があった。そしてその中に待ち望んだ光景が。

壁一面に張られたガラスの窓から射し込む午後の日差しの中に、あのひとがいた。

長い蒼の髪が太陽の光を受けてキラキラ輝いてーーああ、なんてきれいなんだろう。
深い海の底のような、夕暮れ時の森の中のようないろの瞳が俺を見ている。
まるで彫像みたいな白い肌と整った顔立ちは、初めて会った時と何も変わらない。

昔から聖域のみんなに神の化身と褒め称えられていたと聞いたけれど、本当に……神様みたいだ。

視界に飛び込んできた彼の姿をぼんやりと、というか半ば見蕩れていた俺の耳に、忘れもしないやわらかな低音が届く。

「星矢!よく来てくれたな、ああ……立派になって」

とびきりの、満面の笑顔。
ハーデス城で見た悲しげな微笑とは違う、ほんとうに輝くばかりの。

「サガ!よかった、ちゃんと目覚めたんだな。復活したのにずっと起きないっていうから心配してーー」
「……済まなかったな」

ほんの少しサガの笑顔が翳る。ああ……俺は言葉を間違えたのか?責めてる訳じゃないし、悲しませたくなんてないのに。

「いやっ全然!こっちが勝手に心配したんだし……とにかく俺、またサガに会えて嬉しいんだ!」
「私に?」
「ああ!聞いてほしいこといっぱいあるんだ!俺、頑張ったんだぜ?」

目一杯の笑顔で得意げに告げると、サガは眩しそうに目を細め聞かせてくれと言ってくれて。
促されるままに椅子に座り、テーブル越しに神様みたいなひとを独り占めしてたくさんのことを話す。
冥界でのこと、エリシオンでのハーデスとの戦いのこと、青銅聖闘士の仲間のこと、それから聖域の後のこと。

俺が話すひとつひとつを、サガは頷きながら聞いてくれて。
頑張ったのだなと、何度も褒めてくれて。
文句の付けようがないきれいな顔に優しい笑みを浮かべ、穏やかな眼差しで見詰められ、時々声が上ずるのを自覚しながらも会話を終わらせたくなくて。

勧めてくれた紅茶に手を伸ばしながら次は何を話そうかと思いを巡らせていた時だった。軽いノックの後部屋の扉が開き、ふわりとした空気と清らかな小宇宙と共にこの場に滑り込んできたのは沙織さんだった。
腕に抱えているのは小さなバスケット。ほんのりと漂う甘い匂いに思わずがたりと腰を浮かせた俺とは対照的に、サガは優雅な仕種で音も立てず立ち上がると沙織さんの傍へと向かっていった。

「アテナ、如何なさいましたか?」
「ええ……お茶をご一緒しようと思って。お邪魔していいかしら?あら星矢、此処に居たのですね?」
「何だよ沙織さん、居ちゃ悪いかよ」

臣下の礼を取ろうとするサガを片手で制しながら、沙織さんは俺ににっこりと笑い掛ける。

「貴方がサガに会いたくてはるばる日本から飛んできたのは分かりますけど、到着を知らせてくれれば会食を用意させたのに……まさか執務中のサガのお部屋に直接上がり込んでるなんて思いませんでしたよ」

あくまでもにこにこと、邪武あたりが見たら倒れそうな笑顔でーーその、なんというか、怖い。

「えっ、あ……サガ、仕事中?ごっごめん!」

それよりも、沙織さんの言葉の内容に慌ててサガに向き直り謝罪するも、サガは小さく笑って気にするなと返してくれた。

「ああーー大丈夫、急ぎの分は粗方片付いているから」
「うっわ、さすがだなあサガ!ほら沙織さん、俺サガの仕事の邪魔した訳じゃないぜ!」
「それはたまたま、彼が有能だっただけでしょう?」
「うっ……じゃない!そういう沙織さんだってサガのとこ押し掛けてるじゃん!」

俺の切返しが予想外だったのだろうか、ふと沙織さんの瞳が驚いたように見開かれた。満面の笑顔は相変わらず貼り付いていたままだったけれど、ほんの少しだけ困ったような、バツが悪そうな。
だけどそれはさすがアテナというべきかほんの一瞬のことで、沙織さんはさっきまでと変わらぬ笑顔を浮かべ小首を傾げてみせる。ほんとうに、邪武が見たら卒倒しそうな可愛らしい彼女の仕種に、だけど俺は背筋が薄ら寒くなるのを感じた。
俺の心中を知ってか知らずか、沙織さんはこの上なく俺の知ってる沙織さんらしい発言をする。

「星矢、それが何かいけないのですか?」
「ちょっ……!サガの仕事の邪魔するなって言ったの沙織さんだろ?」
「言いましたけど……でも私は星矢ではありませんもの」
「は?」
「ですから、サガは私の双子座なのですよ?」
「……うわ、何それ最低」

あくまでも花の咲くような笑顔でしれっと言い放ってくれた彼女に、思わずぼそりと呟いてしまって我に返る。
さすがに今のは暴言だったか……正直なところアテナの鉄槌よりも彼女の『双子座』の制裁の方が怖い。恐る恐るサガの顔色を伺おうとしてふと気付いた。今の沙織さんは、そりゃあ子供の頃の『沙織お嬢様』とは比較にならない程度ではあるけど、聖戦の時やサガが目覚める前までの頃の慈愛に満ちた微笑を浮かべた彼女とも違う。

ーーいいのか、それで?

二重の意味で肝を冷やしながらちらりとサガを見遣ったけれど、彼は穏やかな微笑を浮かべやわらかな眼差しを俺達に向けるだけ。

幻滅しないのかな、あんたが敬愛する戦女神は実はとんでもない我儘なお嬢様なんですけど、なんて。
そんなことを思ったけど、子供の頃の彼女のことも聖戦の頃の彼女のこともサガは殆ど知らないのだと気付き、ついでにその原因となったのもまたサガだったことを思い出した俺は口を噤むことにした。

「ああもう、分かったよ悪かったよ!沙織さん俺お腹空いた」
「……とても悪かったと思っているようには聞こえないのですけれど」
「思ってるって!そうだサガ、日本に居た頃の沙織さんの話してやるよ」
「ーーいいわ星矢、お茶菓子のクッキーでよかったら召し上がれ」

途端、戦慄するような女神の小宇宙がひとかけら分だけ俺を襲う。余計なことは言うなってか。でも、何処から何処までが余計なのかいまいち分からない。

再びテーブルについたサガは相変わらず俺を穏やかな笑顔で、見ている。
黄金聖闘士であるサガが、さっきの女神の小宇宙に気付いてない訳がないと思うけど、でも彼は気に留める様子が一切ない。
穏やかで、やわらかで……何処か遠い眼差しで。

(ーーあ、れ……?)

遠い眼差しを、俺に……?

「星矢、どうした?」
「あ、ごめん何でもない!あ、そうだ沙織さんの話だったよな?えっと……そうだ、馬!」
「馬?」
「そうなの!私日本に居た頃は乗馬を……」

サガの眼差しが胸に引っかかって、何かざわざわするものに気を取られていた俺のうっかり口をついて出た発言を沙織さんがすかさずフォローする。ああ、やっぱりアレは駄目なのか。まあそのうち誰かが口を滑らせそうな気もするけど。

「アテナは乗馬がご趣味なのですか?」
「ええ、子供の頃はよく」
「……では、聖域で飼育しましょうか?すぐにご用意できるかと思いますが」
「まあ本当に?嬉しいわ、また馬に乗れるのですね!そのうち遠乗りもできるかしら」
「そうですね、その折はお供いたしましょう」

サガはそんなことをさらりと告げた。神様じゃなかったらまるでどっかの王子様みたいな笑顔で。
端正な彼の微笑に思わず見蕩れてしまっている事に気付いた俺は咄嗟に憮然とした表情を作り極力興味なさそうな素振りをしてみせた。

「乗馬ねえ……」
「ああ、星矢にも用意しておこう。好きに乗るといい」
「えっ俺はいいよ!俺あんまり良い思い出ないし……」
「そうなのか?」
「あら、そうだったかしら?」

途端、隣に座る沙織さんの口からとぼけた声がゾッとするような小宇宙と共に俺に発せられた。弾かれるようにして沙織さんの方を見ると、相変わらずニコニコとした笑顔がそこにある。

「……ほ、ほら俺天馬座だからさ、何か馬に悪いっていうか」
「まあ、そんな事を思っていたなんて知りませんでした。星矢は優しいのですね」
「はは……何ていうかさ、仲間意識みたいな?」

我ながら苦しい事を言っていると思いながらも無理矢理沙織さんとの白々しい会話を続けていると、不意にクスクスと可笑しそうな声が聞こえてきた。一瞬目の前の沙織さんと顔を見合わせ声の主に向き直ると、そのひとはそれは楽しげで、そして嬉しそうな顔をして俺達を眺めている。

「……ああアテナ、ご無礼を。貴女と星矢の遣り取りがとてもーー心暖まるものに見受けられました故」
「ーーっ!あのっサガ、私その……」

具体的な事例はともかくとして、俺に叩き付けた小宇宙も含めサガには大方のところを見通されていることを察したらしい沙織さんが些か慌てた様子で何かを言おうとする。
さっきも思ったけどやっぱりというか、黄金聖闘士が目の前で放たれた女神の小宇宙に気付かない訳がない。さすがにちょっと逃げたくなってきた俺の隣で焦る彼女の言葉を遮る形で、不意に優しい低音がやわらかく響いた。

「アテナ、以前も申し上げましたがーーどのような貴女も貴女でございましょう……少なくとも私にとっては」

まるで幼子をあやすような、穏やかで暖かな心に沁みる声音で沙織さんにそう告げたサガはやっぱり神様か、どっかの国の王子様みたいで。
視線を泳がせ沙織さんを横目でちらりと見たら、まあそれはしおらしげな表情でサガを見ていた。凄え……そんな簡単な言葉と微笑みだけであの沙織さんを黙らせるなんて。

それから彼は、やわらかい微笑みを浮かべたまま深く澄んだ瞳で今度は俺を見詰めてくる。

「ありがとう星矢、今日はとてもーー嬉しかった」

見たことのない、ふわふわしたサガの笑顔にどきりと心臓が跳ね上がる。顔が熱くなるのを感じながら何故か目を逸らすことができなくて、俺はただ目の前の、美術館にでも飾られてるんじゃないかって位出来のいい絵画みたいな光景を何も言わず見詰めていた。
まるで昔話に登場する宮殿みたいな、光溢れる部屋の中で優雅に寛ぐきれいな、きれいなひと。

(ーーああ、まただ)

あのとてつもない強さを持つ戦士のものとは思えない、静かで優しい眼差しは何を……誰を見ているんだろう。
俺を映す深く澄んだ不思議な色合いの瞳に、俺の姿は多分ーー存在しない。

(……そっか)

何でだよ、だってみんな居るじゃないか。アイオロスもカノンもアイオリアもムウも……聖域に。サガの傍に。
そう思ってそして気付いた。彼の視線の先の存在を。

(サガが見てるのは、沙織さんだ)

自分から逃れたアテナの、沙織さんの日本での姿を。サガの知らない彼女の幼少期を。

沙織さんが何不自由ない幼少期を過ごせたことは、サガにとってはせめてもの救いなんだろうってことは、分かる。
だけど。

(やめてくれよ、サガ)

膝の上に置いた拳をぐっと握り締めて俺はサガを見詰め返す。俺はここに居るんだって意思を込めて。俺を見てくれと、願いを込めて。

やめてくれ、とは言えなかった。
日本での沙織さんのことを話題にしたのは俺自身だったから。もちろんそれは沙織さんとの軽口の末のことではあったけど、サガが喜んでくれると思ったのも確かだったから。

「サガーー俺、サガに色々教えてほしいんだ」

だから、その代わりに。

「……星矢?いや、教えろと言われても……お前の技のタイプならアイオリアやアイオロスに学んだ方が良いと思うが」
「俺はサガに教えてほしいんだ。技とかじゃなくてもその……勉強とか聖域のこととか!」

不思議そうに、というより困ったように首を傾げたサガに畳み掛けるようにして告げると、彼は納得したのかああ、と呟きふわっとした笑顔を向けてくれた。

「そういうことなら……私で良ければ何時でも来なさい」
「まあ!サガは星矢に甘いんだから……」

降って湧いた横からの沙織さんの声に、俺は勝ち誇った笑顔を作り彼女に向き直る。

だって、いいじゃないか。
俺は女神であるだけでサガの『特別』になれるあんたとは違うんだから。少し位いいじゃないか。

「なあアテナ、あんたの双子座、俺に貸してくれよ」
「……星矢にはかないませんね」
「そう願ってるよ」

俺の気持ちを察したのか、沙織さんは溜息交じりに苦笑して。

「でも、ちゃんと返して貰いますからね。サガは私の双子座ですから」

さらっとそう言って優雅に紅茶を口に運ぶ沙織さんと、何というか居た堪れなさそうな様子のサガを見比べ、もしかしてこれって宣戦布告とかそういうの?なんて思ったけど。

めんどくさそうなことはとりあえず脇に置いといて、早速俺は明日の予定を頭の中で組み立てることにした。










『エデン』
貴方のいる場所こそ、至上の










普段は黄金黄金騒いでますが、星矢好きなんですほんと
ハーデス12宮編ラストの星サガあれはやばかった……
珍しく明るめのほのぼの系を書きたかったのでこんなのを。

ところで、わたしは憑依説推しではないのですが、星矢にはそう見えたんじゃないかなと思ってます。




テーマ : 二次創作:小説
ジャンル : 小説・文学

サガ沙織(未満)ss『黎明』 サガとムウとアテナ沙織。サガに優しいムウたま。


微かに朝露を孕みひやりとした風が一陣、音もなく聖域を吹き抜ける。

未だ水気の残る己の髪を風の弄ぶに任せ、わたしはゆったりとした足取りで十二宮の石段を一歩一歩踏みしめながら降りてゆく。
普段使いの簡素な法衣でーーそしてわたしがわたしとしてこの石段を降りるのは一体何年振りのことであろうか。

シオン様に成り代わってからの十数年間、教皇の豪者な法衣と仮面を被り幾度となく降りた石段ーーしかし、このように風を感じることも暁前の空のいろを眺めることも、そしてそれを心地好く美しいと思うことも有りはしなかった。

己がこの地上に存在しなかった時期を含めれば十五年以上になるのかーーそんなことを思いながら感慨を以て深い紺青から水晶の如き紫紺、そして燃え盛る焔のような緋へと変わりゆく夜明けの空を眺めながら未だ寝静まった幾つもの宮を横切り、乾いた足音を響かせ石段を下っていけば、やがて視界の片隅に最も下界に近い宮の姿が映し出される。

ああ、そろそろ戻るかと踵を返しわたしは何気なく周囲へと感覚を拡げた。
何かを、誰かを探そうとした訳でもない。ただ聖闘士として、戦士としての癖が無意識にそうさせたのだろうが。

「……おや」

わたしがその存在に気付くと同時に相手も此方に気付いたのであろう、彼方から穏やかな声音が耳朶を打つ。そして一呼吸後にはわたしの眼前に声の主がやわらかな微笑をたたえ佇んでいた。
天翔ける羊の如く、と称される優雅な物腰の青年の姿を正直なところわたしは見知っているものの見慣れてはいない。だが、暁前の光に照らされ東雲のような薄紅に染まりゆくパープルブロンドが、記憶の底の幼い彼の姿を脳裏に思い起こさせた。

昔、丁度今と同じように夜明け時この石段を降りていくと、その先には必ずと言っていいほど牡羊座の小さな少年の東雲色に染まった髪が風に揺れていた。

ああーーこれはあの時の光景の、続きなのか。

「おはようございます、サガ。散歩ですか?」

既視感に息を呑むわたしに向かい、彼は別段驚いた様子もなく柔和な笑顔を浮かべ。

あの頃と同じ言葉を、同じ笑顔を。

「……ああ、おはよう。済まぬ、邪魔をしたか?」
「いいえーーですが些か照れ臭いですね」
「何がだ」
「何と言いますか、懐かしくて」

思いがけぬムウの科白に思わず目を瞠る。彼もまたあの頃の記憶を思い起こしていたのかと驚きが口を突いて出た。

「覚えている、のか」

主語を持たぬわたしの問に、彼は切れ長の大きな瞳を僅かに細め意外な言葉を口にする。

「覚えているも何も。わたしは貴方がこの石段を降りてくるのを毎朝待っていたのですから」

夜明け前の深い青に融けていた貴方の長い髪が、やがて暁の光を受けて浮かび上がるさまがとても好きでした。

そんなことを、こともなげに彼は言う。

「ーー貴方が忽然と姿を消してからも、わたしは毎朝こうして貴方を待っていました」

やわらかな笑顔を崩すことなく、淡々と述べる彼の言葉にーーその内容に息を呑む。
咄嗟に表情を取り繕ってはみたものの、恐らくわたしの一瞬の心の動きは彼に伝わってしまっているだろう。己の過去の所業がもたらした他者への影響に感情を揺らす、わたしにそのような資格などないだろうに。
果たして、彼は微かに首をかしげ困ったように苦笑を洩らした。

「ああサガ、そんな顔をしないで。長い間わたしが見たいと望んできた光景は目の前にある。わたしはいま、とても満足しているのです」
「……済まぬ」

師を奪い、辛く理不尽な日々を強いたわたしが他ならぬ彼に気を遣わせるなどと。
到底許されることではないだろうとの思いを知ってか知らずか、此方を見据えていた双眸がふと荘厳な暁の空へと向けられた。何処か遠い眼差しで空を見上げながら彼はぽつりぽつりと言を紡ぐ。

「ーーわたしから師を奪った貴方を、恨んでいなかったと言えば嘘になります」
「……ああ」
「ですが、貴方はわたしを殺そうとはしなかった。聖域を離れたわたしを、貴方が咎め立てることはありませんでした」

貴方はわたしを、護ってくれたのでしょうーー何時の日にか、聖域に帰還された女神の力となるようにと。

淡々とした口調で謳うように告げる嘗ての幼い少年の、いまや立派に成長を遂げた姿を視界に映したまま当時の己を振り返る。
確かにわたしは待っていたのだろう。彼が彼の師の仇を討ちに、女神を奉じ教皇宮へと乗り込んでくることを。

だが結局それは叶わず、わたしは己が手で己を裁くことしかできなかったが。

紡がれた言葉を否定も肯定もせず、ただ済まぬと呟きを洩らしたわたしに再び向き直ると、彼は穏やかな微笑を湛え。

「ーーあの夜、貴方がシオンに従い聖域に現れ女神の御為にその矜持も魂も投げ打った時点で、わたしが貴方を憎む理由は消え去った。シオンが貴方を赦し認めたのであればわたしには何も言うことはありません」

わたしはシオンに逆らうことはできないのですーーそのように育てられましたから。

苦笑交じりにおどけて肩を竦めてみせる青年の顔を改めて眺め遣り、思わず口を突いて出た言葉といえば。

「……難儀なものだな」
「貴方にだけは言われたくありませんね」
「……」
「まあ、あまり思い詰めない方がいいですよ、女神が哀しまれますから」
「ーーアテナ、が……」

ふと、先日目覚めたわたしの枕辺に立たれたアテナの姿が脳裏に浮かぶ。
記憶に新しい艶やかな微笑み。未だ耳に残るのは不思議な旋律。

彼女は何と仰られたーーあの方は、わたしに何を求めておいでなのか。

「サガ、今日は一日教皇宮に?」
「今日?ああ、そうだがーー」

何らかの思惑でもあるのだろうか、突然降って湧いた脈絡のない質問に我に返り、咄嗟に答えたわたしの言葉に大した感想もない様子で目の前の青年はそうですか、と返してくる。
否ーーどちらかといえば辟易した様子、であろうか。

「そうでしょうねえ、聖戦後漸く黄金聖闘士が揃っての一からの再建ですもんね。全く、このような大切な時にシオンときたら物見遊佐などと……おかげでわたしも今日は一日中聖衣の修復ですよ」

ああ、要するにシオン様に対する愚痴を言いたかったのかと苦笑を洩らし、次いで彼の言葉の裏の意図に気付いたわたしはぶつぶつとぼやく青年に向かい、ありがとうと一言述べた。
そうーーシオン様に逆らえないとしながらも愚痴や文句は平然と述べる彼の、これは紛れもない優しさなのだろう。

「何のことです、サガ?……わたしはそろそろ戻ります。さっさと取り掛からなければ予定分が終わる頃には日付が変わってしまいますので」

解り切っているだろうに素知らぬ様子で、彼は軽く肩を竦め早朝の光を受け淡い紫とも緋ともつかぬ色彩に染まる白羊宮をちらと一瞥し、それからわたしの返答を待つこともなく軽やかに踵を返すと乾いた靴音を鳴らし石段を踏みしめていく。

「サガ、また明日」

遠ざかる後姿を見送るわたしに、彼は一度だけ振り返ると真っ直ぐに伸びる淡い紫銀の髪を億劫そうに払いながらも笑顔を見せる。
それは皆が賞賛する優雅な微笑というよりは、記憶の底に沈む幼い少年のような表情だった。

「……ああ、また明日」
「ええ、この時間にまた……お待ちしております」


(ーーそうだ、あの頃も)

わたしは彼と、今と変わらぬ遣り取りをーー


今度こそ振り返ることもなく白羊宮へと向かう青年の言葉に遠い過去の記憶を重ねながら、わたしは無言のままその後姿をぼんやりと眺めていた。





✳︎





ゆるりとした足取りで来た道を、十二宮の石段を昇ってゆく。

やがて教皇宮を視界に映し出す頃には、暁の緋は淡い金色を経て明度を増し白く烟る空のいろへと変貌を遂げていた。
己の向かう先から吹き抜ける冷ややかで心地よい風に双眸を細め、何となしに住み慣れた白亜の宮殿へと視線を向ければ、淡い煌めきが飛び込んでくる。


虹を見たーーそう思った。


風に煽られ宙にたなびく、早朝の陽射しを受け光を放つ薄紅とも紫銀とも白金ともつかぬ絹糸の如き長い髪。

佇む少女が纏う裾の長い純白のドレスは聖域の空のいろをそのまま落とし込んでいる。

「ーーアテ、ナ」

半ば呆然とした呟きを拾い上げたのだろうか、奇跡のような光彩をその身に纏ったわたしの主は、まるで蕩けるような艶やかな微笑を浮かべその円い唇にわたしの名を乗せ。

「サガ、おはようございます……朝の散歩ですか?おかえりなさい」
「おはようございますーーアテナ、如何なさいました?このような時間に」
「貴方におはようと言いたかったのです」

思わず口を突いて出た問いに、彼女は見蕩れるような笑顔のまま手を伸ばせば届く距離まで歩み寄りこともなげに告げてくるーーこのわたしに会いたかったのだ、と。


(ーーなん、だ……これは)

何かがざわり、と胸の奥に揺さぶりをかける。凪いでいた筈の心が漣立つ。


前触れもない感覚に戸惑いながらも主たる少女の紡ぐ言葉を止められる筈もなく、わたしは己の感覚が如何なるものか究明することを早々に放棄した。
そして主である少女はわたしの胸の内の漣など全く気付く様子もなく屈託のない笑顔で言葉を重ねる。

「明日もまた会いに来ますね?」
「いえ、まさか貴女にそのような……宜しければ明日はわたしが朝のご挨拶に参ります故」
「女神への挨拶なら出仕の時でよいのではなくて?」

彼女の奏でる澄んだ声音がーーその旋律が水滴のようにわたしの心へ波紋を落とし密やかに浸透していく。
それは静かに、だが確実に、己が長く腹の底に封じていた何かを目覚めさせようと働きかけーーそしてわたしにはそれが何であるか分からぬ以上防ぐ手段を持ち合わせてはいなかった。

「わたしが、貴方に会っておはようと言いたかったの……駄目ですか?」
「ーーいえ、その……ありがとうございます」
「朝食、ご一緒してもいいかしら?」
「……はい」

小さくやわらかな彼女の掌がわたしの手にそろりと触れ先を促す。

その暖かなぬくもりと仄かな花の芳香に誘われるまま一歩踏み出したわたしに、艶やかな少女の姿をした主はその姿に似つかわしい咲き誇る大輪の花のような笑顔を浮かべ、告げるのだ。

「明日も」
「はい」
「明後日も、その次の日も」
「……はい」
「ねえサガ、これからはずっとーー」


それは祝詞のように、或いは呪詛のように。


(感情をーー心を動かすことなど、今更このわたしに)



彼女の望みも己の行き先も、この心に確実に残された一滴がーーその波紋が何であるのかも分からぬまま、わたしは地上の奇跡の色彩を纏う少女の手を取り教皇宮の門を潜る。





世界は変わることなく淡々と紡がれ、だが密やかに変わりゆく日々が始まろうとしていた。










『黎明』
やさしいゆめのつづきを。















サガにやさしいせかいをつくるのだ。
ムウたま難易度高くてなかなか進まなかったけど……

タイトルmk5で良くね?と思いながら。




テーマ : 二次創作:小説
ジャンル : 小説・文学

プロフィール

月桜キキ

Author:月桜キキ
月桜キキと申します。
数年振りに二次創作の世界に出戻って参りました。普段はしれっと会社員やってます。

暁のヨナ、聖闘士星矢(無印)を中心に、他ジャンルも時々。
NLBL混在しますのでご注意!

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